天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

老人クラベ

 中国のお年寄りは元気がいい。公園は老人の溜まり場、交流の場となっている。朝は太極拳から始まり、琵琶や胡弓をかき鳴らす人の横で、声高に詠う人もいる、音楽に合わせてダンスに興じる人など色々。北京の池では凍った氷を割って泳ぐおっさん、という極端な例もある。広州の越秀公園では、鳥かごを手に持ち、愛鳥と一緒に散歩をしている人も見かけた。鳥かごはぶら下げるのではなく、かごの下に持つところがあり、そこを持ってかごを目の高さに掲げながら歩く。鳥と人間が同じ目線でものを見ている。「今日は暖かいね」などと鳥と語り合ってるみたい。対等の関係で可愛がっているらしい。
 余談だが、鳥は散歩に連れて行ってもらうより、さっさとかごの鳥から開放してやる方が幸せではないか、と思うのはシロート。生まれたときから人間の手で、練り餌などを与えられて育てられた鳥が、いきなり広い公園で放されても生きてゆけない。道にも迷う(?)。なので、育ててくれた爺さんに寄り添って、一緒に散歩をしながら、時折いい声で鳴いたりすれば更に喜んでもらえる。好物のえさでもはり込んで買ってくれるかも知れない。犬も、鳥も人間のペットに成り下がって、野生を忘れた者たちがいるのだ。
 本題は老人のこと。一方、アメリカの公園のベンチでは、お年寄りがひっそりと座って日向ぼっこをしている光景を見かける。夫婦そろっていて、ばあさんが老眼鏡をかけながら編み物をして、その横で爺さんがやはり老眼鏡をかけて新聞を見ている、などという光景は少なくなったらしい。どこか寂しげにひっそりしている方が多い。よく見るとホームレスだったりする。
 この中国のお年寄りと米国のお年寄りの違いは何か。中国では老人が尊敬されている。社会的にもそうだし、家庭においておや。(←「おや」の使い方正しいかな)中国の家では、農村から出稼ぎという事情が無い限り、伝統的には大家族制で皆一緒に暮らす。稼ぎは皆おばあちゃんに供出して、小遣いはおあばちゃんから配分される、という話を聞いたことがある。出稼ぎで稼いだお金もそのようにするのが伝統的な中国文化。日本のばばあにあずけると、パチンコですったり、振り込め詐欺に騙されたりするかもしれない。(これは冗談)即ち、中国においては老人は家族に見守られて暮らしているのに対し、核家族化しているアメリカでは、老人は二人または一人暮らしが多い。そこのところから来ている元気の差だ。しかし、財布を握るのが奥さんの方で、旦那ではないところも中国らしい点。
 アメリカでは、子供は大学時代から大方独立する。子育てを終わった親は、子が離れていって、後に残るのは当然の成り行き。日本でも最近はこちらのパターンが多い。伝統的な農村では皆一緒に農作業をしており、老人も体の動く限りできることをして働く。これが体にいいし、ある意味生涯現役を地で行っている。仕事を終えると、ゲートボールに興じるのが流行ったこともあった。伝統的農村は、実はとてもいいものだったのだ。その農村が、まずい農業政策のおかげで健全な農村が減ってしまった。おまけに自給率まで減った。というグチは今回はおさえる。
 日本の老人は、と一口で言うのは難しいが、やがて迎える自分の老人状態は現役継続で行きたいものだ。