天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

中国映画「赤い鞄」秘境・墨脱(メドク)へ

 2003年の作品。なので、カラーで映像的には問題なく、日本語字幕もあり、見やすく、中国語のヒアリングも楽しめた。
 ストーリーはチベット自治区の東南、インドとの国境に近いメドクと言う地域に、上海のご老人が私財をはたいて小学校を作った。そのことを取材に行く記者一行に、老人を看に行く使命の女医がラサからメドクまで行く間の出来事だ。
 老人は中国の山々を旅するうちに、ヒマラヤに近いこの地域の子供たちが道も無い危険な山を越えて通学しているという事情を知って、近くに学校を建てた。一行にはその学校の校長が、上海の大学にいっていた娘を呼び戻し、ラサから記者たちと一緒に山に戻るところでもあった。
 記者は、学校の生徒たちへのお土産に、赤い鞄の沢山入った荷物を持っていた。その荷物を運ぶのに雇ったポーターの中に、15歳になる少年がいた。彼は学校にも行けずに、ポーターをして暮らしていたが、自分もその赤い鞄を貰って学校に通いたいという望みがあった。しかし、それもかなわないことをも自覚しており、6日に及ぶ都会人の旅、文字通り道なき道をゆくたびを助ける役割に徹するのだった。
 登場人物たち、即ち地元の先生や、ポーターの庶民、そして都会の上海人二人が学校を訪ねるという特異な旅の中での人間模様。中国の人やいかに、ということを思い知らせるような物語。
 まず、女医さんは、行く先が道も無いヒマラヤの山を越えた先ということが分かり、帰ろうとする。しかし、老人の体調がすぐれないことを知った記者の勧めに同行するはめになった。都会育ちの彼女は次第に一行のお荷物となる。しかし、途中ポーターの一人の住む部落を通ったとき、そのポーターの妻の初めてのお産の場面に行き逢う。そのお産が難産で、産科医でもない彼女ではあったが、何とかかんとかやっとの助けで無事出産をすることができた。
 校長の娘は、上海で更に音楽学校へ行きたい希望があり、父親から呼ばれたわけをいぶかしがっている。まさか山で先生をしろと言うのではないだろう。とんでもない、私にはやりたいことがある。という気持ちであったが、途中、妹の墓に行き着く。妹が亡くなったことを知らされていなかった彼女は、そこで妹が死んだわけを聞く。遠くの学校に行く途中、足を踏み外して谷底に落ちたということだった。それを知って、老人の建てた学校の大きな意味を知る。しかし、その学校は老人が建てたものの、教師のなり手がなく、78歳になる老人がその地方の方言を勉強して、自ら先生をやっていると聞く。彼女はそこで教師をする決心をしたのだった。
 ポーターの親分もいい。はじめは悪役のようでもあったが、赤ん坊の生まれたポーターに、妻と産まれた子供のところにとどまるように言い、給料と祝い金まで渡し、荷物を自分で担いで歩き出す。「なかなかやるじゃん」と思わせる。
 極めつけは、15歳のポーターの男の子。まず女医が池にはまって靴をなくした時、そっと自分の山用の靴を脱いで彼女の前に置く。自分は荷物から古い靴を取り出して履く。彼女はその靴をきたない物のように扱うので、周囲の反感を買うが、少年は気にせずいつも笑顔でいる。その彼が、旅の終盤で、片側が深い谷川になった山肌を一行が崖にへばりつくように歩いている時、記者が足を踏み外して落ちそうになった。そのとき、身を挺して記者を押さえたために自分が崖から落ちてしまった。落ちる途中、草の根元にやっとつかまったものの、草の根は少年と荷物の重さに長くは耐えられない。少年の背には学校へ届ける赤い鞄の荷が背負われていた。記者たちは紐の先に杖を結んで、少年にやっと届かせる。「荷物を捨てて、これにつかまれ!」と上から叫ぶが、少年は杖の先に鞄の荷物を引っ掛けた。その途端、彼の体は谷底へまっ逆さまに落ちていった。
 皆は唖然として驚き悲しむ。記者は荷物から赤い鞄を一つ取り出して、少年の落ちた方角に向かって「これで勉強するんだぞ」と涙ながらにほうり投げる。一番激しく泣きわめいたのは、いつも少年をどなっていたポーターの親分だった。
 以上、あらすじを書いてしまった。
 中国で、学校という社会的な資産であるべきものの不足が、このように人々の命がけの善意で改善されなければならない現実がまだあるということと、ここに登場したような人々の居る国が中国なんだということを改めて感じた。
 学校を建てた老人というのは、映像には現れなかったが、カッコよすぎる。少し真似事ができないものかと思うが、真似ではダメかな。