天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

居場所

 毎朝通勤で下りる地下鉄の駅のホーム。そのホームのベンチが、朝からほぼ満席状態で人が座っている。毎朝のことなので、そこに座っている人の幾人かは顔をおぼえてしまった。同じ人たちがそこに居るということなのだ。何をしているかというと、本を読んでいる人が大半。新聞ではない。なぜ、こんなところに居るのだろう?会社へゆくならさっさと行けばいいものを。
 かく言う自分も、ホームを足早にすり抜けて、事務所に行く前に喫茶店へ行く。これはもう何年も続いた習慣になっている。勤務場所が変わっても先々で朝落ち着ける店を探して立ち寄る。何をしているかといえば、ラジオの「まいにち中国語」という番組を聴いて、それが終わると電車の中で読んでいた本の切りがいいところまで読んで、それから出社する。以前は、少しでも早く事務所に着いて、夜遅くまで仕事をしていたことを思うと別人のようだ。
 書こうと思ったのはそういうことではなくて、駅のホームで朝から本を読んでいる人たちは、私の場合と同じような時間で、ただ喫茶店ではないということなのか。それとも、家を出たものの、会社はリストラされていて特段行くところも無く、そういう場所をあちこち行って、夕方「ただいま」と帰る人もいるのではないか、と想像してみると、本当にそのような行動パターンの人がいるはずだと思えて、とても寂しい気持ちになる。
 そもそも、我々の居場所はどこなのだろうか?家か、仕事場か。昼は仕事場にいて、夜家に帰ってくつろぐ。家で仕事をする人は、家の中のその場所。仕事場は、会社だったり、工場だったり、畑だったり色々。駅のホームが居場所というのは寂しい。時間調整に使うのならまだしも。いや、ホームのベンチというのは、電車を待つ人が座るばしょだよなあと思う。
 夜、久々に麻雀をつきあった相手の貿易関係の人の話によると、最近は輸出入とも量が減っているとのこと。それだけ不景気ということ。そのせいで駅のホームで時間をつぶさなくてはならない人が増えたとすると、それはなんと言うか、一つの現象だというふうに客観的に他人事のように見てもいいのだろうか。ハテナ?