天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

情報の価格あるいはキャッチコピー

 電車のつり広告に、よく雑誌の宣伝が出ている。立って本も読めないほど混雑していると、つり広告でも眺めるしかない。週刊誌、月刊誌色々あるが、最近は中国の話題も多いので、自分もついそれにつられて月刊誌を買ったことがある。それはそれでよかったが、今日も危うく別の雑誌を買うところであった。現在の政治情勢に関わるコピーが並んでいた。
 降りた後、駅の売店を通り過ぎながら雑誌の並んでいるところを見ると、あったあったその雑誌もあった。しかしその薄さと、広告に並べられた題材の多さを考えると、ひとつひとつの記事は短く、簡単なコメントか情報であろうことが想像できる。よって今回は買わなかった。
 雑誌は高価なモノではないが、自分の読みたいテーマの記事だけをその値段で買うとすると、1ページあたりの金額は、作家が呻吟して書いた小説の1ページの値段と比べるとお高いような気がする。しかし問題は字数ではなく、情報の鮮度とか記事が自分にとって有益だったかということのはずだ。が、その点から見ても、広告のコピーはさも重大なことが起きているとか、あるいは新しい視点からの観察が述べられていると思わせるにも関わらず、実際に読んでみると大した内容が無かったりする。コピーの文言を超える内容はなく、コピーを見るだけで充分だったりする。
 そもそも雑誌記事の紹介文をコピーと言うのかどうか知らないけれど、その文句を超える記事がない場合は誇大広告と言えないだろうか。ま、買わなければいいのだから、すべて自己責任と思っておけば間違いなかろう。