天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

聯聯天会

 日中友好協会八王子支部の活動の一つに「聯聯天会(リャンリャンテンホイ)」という集まりがあり、今日はその2回目があった。1回目は1958年まで人民開放軍と行動を共にした方の話。今回は戦後初期の日本語教師として中国に行ったものの、文革の影響で活動にならず、2年足らずで帰国された人の体験談だった。
 話の中心は、文化大革命がどの様なものであったか、現場を直接見て行動した人の話なので、なかなか貴重な体験を聞くことができた。20名ほどの参加者の中には、日本に留学中のいわゆる「80後」の学生と、日本で中国語教師をしている中国人先生、文革開始当時6歳だった女性と、3名の中国人もいた。
 講師の先生が、大連の日本語学校で教師をするために奥さんと1歳半の娘さんを連れて中国に渡ったのが1965年2月のこと。その約1年後に毛沢東文革の発動を指示した。以後は生徒たちも文革に参加を余儀なくされて、教室での授業はできなくなった。生徒たちが、自分たちの状況を説明するのが、つたない日本語で話すので却って文化大革命の本質的な目的が権力闘争であることが見えてしまっていたらしい。よって大連で日本語教師としていた人たちは、文革に対して賛成の立場を取らなかったことから、結構危うい目にも会われたらしい。帰国に際しては記録の持ち出しはできなったとのことだが、当時の人民日報や紅衛兵が常に携帯していた「毛沢東語録」の実物を見せていただいた。
 これがそれ。


 参加していた中国人の若者は、自分は文革を直接知らないので話を聞きに来たとはじまる前に話していた。その彼が、講師の話を聞き、質疑などの様子を見た後の感想では、「自分は大学での日本人の友人たちからは中国の悪い面ばかりを指摘されているが、今日のこの場で日本にもこんな人たちがいて、こんな集まりがあるのに驚いた」と話していた。
 文革開始当時6歳だったという女性は、今50歳を過ぎた年齢だと思われるが、昨日中国から日本に戻ったとのことで、ピンクのスパンコールの着いた野球帽を目深にかぶり、黄色のドレスを着ていて、とっても今風の中国人スタイルだった。彼女は子供の頃、親しい近所の人たちが翌日にはさらし者になって、命を失うことが日常的にあったことを話してくれた。あまりに生々しく、簡単に感想など書くことができないが、彼女たちにとってもそれは過去のことなのだ。
 80後の若者の話では、昨日池袋で反中デモがあったらしい。ときどき池袋でそのような運動がされていることは、ネットでも知るところだ。思うことが色々あるが、今日はこんな集まりがあったことだけ記しておくことにする。