天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

知の宝庫

 中国共産党を作った13人という本。譚璐美という人の新刊の新書本。これを読むと、1921年に上海で最初の中国共産党大会が開かれた様子から、その参加者のその後のことまでが分かる。毛沢東はその中の一人であり、最終的に権力の頂点に立った。彼は長沙からの代表であったが、集まった人間の中には、日本で学んだ留学生が4人もいた。
 そもそも、孫文も日本で学び、革命の資金も日本人が応援していた経緯があった。その後も日本への留学生たちは、日本の大学で社会主義共産主義という考え方を学んで、列強に蹂躙されている母国の立て直しに立ちあがった。そういう人たちが大勢いたわけだ。
 先の戦争で、日本の中国侵略という構図が大きく、そこでの残虐性が取りざたされるあまり、実は中国にとって日本は「知の宝庫」であったことについてはあまり語られていない。
 この本の著者、譚さんは中国人の父親と日本人の母親を持つ人だ。この本は中国共産党の歴史書でもあり、その実日本への留学生たちのことが書かれている。最終章の一節を引用する。
「『知の宝庫』の冷気を胸いっぱいに吸い込んで成長し、泣き、笑い、散っていった幾多の中国人留学生がいたことは、過去の記憶だけにとどめておくことではない。そうした留学生の中から、中国共産党を創設したメンバーも生まれ、その後の日中の歴史に大きく係わって来たのである。彼らが切望しながら果たせなかった夢は、中国を過去のくびきから解き放ち、日本と中国の真の提携を取り結ぶことだったのではないだろうか。」
 日本が本当に「知の宝庫」であるかどうかは定かではないが、明治以降、日本がその時点の先進国の文化・文明を取り入れて、日本語で表現することを行ってきたことは事実である。その日本語の表記の核である漢字が中国渡来のものであり、中国人が新しい考え方を学ぶときに日本語表現が分かりやすかったことは事実であろう。
 ことほどさように、日本と中国との関係は他国との関係に比べて深い関係にあるわけだ。しかし、中国語が簡単という訳ではない。同じ漢字を使いながらも、発音と文法は外国語として学習すべきである。言葉もお互いにもっと知り、コミュニケーションを行い、絆を強くしてゆく。そういう活動の一端を担いたいものだ。