天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

シェアライフ 石山アンジュ

 昨日の続きのような。石山アンジュさんの本。

 この人は、住む所を定めなかったり、生活を他の人とシェアすることで新しい価値が生まれる、といった先進的な主張を語る。

 自身がシェアハウスで育ったそうで、親の離婚も経験していると言うように順当な育ち方をしていない。が、すべてをポジティヴに受け止めて今日があるといった感じ。

 そういえば、自分も住む所に関しては大学入学のために東京に来る(戻る)までに、10回以上の引っ越しをしている。住みかは、一か所じゃないのがフツウというのが体に(魂に)沁みついているのかもしれない。それで、去年は簡単に戸隠ハウスを手に入れてしまった。今は、移住をどうするか考慮中。

 石山さんの説によれば、別に定住でなくてもどこに行ってもお帰りと言ってくれる仲間がいるってのがいい。らしい。

 子育てにしても、今はシングルマザーが多く育児に苦労してる人が多いが、子供は社会の資産でみんなで育てる、と言う発想で。子供のいない人も子育てグループに参加して、子育ての喜びを味わうことができる。といった感じで、子供までシェアしちゃう発送だ。

 なかなか飛んでる考え方だが、保育園の待機児童が無ければ済む問題でもあったりする。即ち、うがった見方をすれば、行政に頼らずなのか、行政の補完的役割を持つグループを作ろうと言うのか。この人の肩書が「内閣混合シェアリングエコノミー伝道師」とあるので、ちょっと鼻白む。

 じかしこの人の書いたものを読んでいると、明らかに自分が学校出て会社に勤めていた頃の感覚と違う世代だと思う。古い昭和のように、就職したら終身雇用でよくも悪しくも自分の生活が会社とともにある時代は終わった。昔あった社員旅行なんてどこにもないだろう。福利厚生としては、家族旅行ができる休暇と費用補助などが精一杯じゃないだろうか。個人主義の時代になった。

 それがまた個人個人だと格差も広がっているので、助け合おうと言う感覚がシェアと言う言葉になっている。カタカナかローマ字にすると、新しいように見える。

 しかしこの人も書いているように、それは昔の田舎に、今でも田舎ではあるところの助け合い、困ったときはお互い様精神なのだ。しかし日本で言えば、昔は5人組という制度があり、またそこに馴染めなかった人は村八分ってのもある。

 私の行く長野の値域にも、組長がいて、班長が会費を集めている。昨年挨拶に行った時、引っ越ししてこないなら町会費は半額でいいんじゃないかと、組長が言っていた。それは年末に払うらしいが、昨年12月は1泊しか行ってないので、払う暇も無かった。今月も結局行くのやめたので、来月、いろいろと演奏予定が終わったら行くかと思っているので、その時班長を訪ねてみよう。

 長野の家の奥に、小さな社があり、年末の大みそかから新年にかけて部落の人たちがそこにお参りをする。その時はうちの庭を通る。それを承知しておいてくれと、不動産屋からも組長からも言われていたので、承知しているが、本来その時はあのウチにいて、通る人にお茶(又はお酒)のいっぱいもふるまうといいのだが。いつかそうすることができるといい。

 まあ、それにしてもこの人の主張は別の言葉で言えば今はやりの”コモン”であり、昔の五人組的なことであったり。彼女の育ち方が変っていただけでなく、ロストジェネレーションの世代でもある。そうした試練の中で生きてゆくにはこうした発想の転換的なことが自然なのかもしれない。そしてこれが普通になってゆき、その生活感が国と言うボーダーも越えつつあるので、その先にある世界はやっと戦争のない世界になるのだろう。

 今戦争仕掛けている連中は、古い。ともいえる。あまりにも古い。これが21世紀とは思えないことが起きている。では今日はこの辺で。