69 孤独のすすめ 五木博之
通院する電車の中に宣伝が出ており、興味を持ったので買い求めて読んでみた。タイトルからは、一人で孤独に過ごすのも悪くないぞというような内容を期待したが、外れた。
それらしいいことは、本を読むのもいいし、昔のことを一人振り替えて時を過ごすのもいいと、少しは書いてあった。その程度のことは言われなくてもやるわ、という気がする。
後の方で書いているが、この本は「嫌老社会を超えて」という前に書いた本をもとに、書き足したものだそうだ。タイトルの趣旨とはかけ離れて紛らわしい。しかしいいことも書いてある。
日本の社会は、人間に例えれば成長のピークを過ぎ、老いを迎えた時期、即ち成熟した社会であり、ピークを過ぎたらシフトダウンするべきだということだ。ところが、いまだに経済成長ありきの掛け声で、政策と言えばアホノミクス。そういう社会をはっきり批判している。
それはいいとして、気になるのはメディアについての考え方だ。戦時中のウソの戦勝報道について、あれは国民が望んだことで、それを書けば売れるのだから仕方がなかったというようなことを書いている。これは違うのではないか。戦場の報道について、心あるジャーナリストにとっては本当のことを書きたいけど書けないという事実があり、戦況については軍部の発表がウソであってもそのまま書くことが求められていた。そういう軍部の提灯記事でずいぶん儲けた新聞もあるらしい。国民が望んだということもおかしい。国民はただ洗脳されていただけだ。
ともあれ儲けのために新聞発行や、本の出版をすることを是とするのは心ある文筆家の仕事ではないだろう。
ヒット作をいくつも書いた小説家が、晩年を汚している事例があるが、五木寛之は大丈夫かと心配になる。
それだけではない。タイトルと異なるこの本の主題は、高齢化した日本の社会についてであるが、年金で暮らす高齢者層は若者たちのヘイトの対象であるとしている。確かに戦後の高度成長を支えてきた企業戦士たちは、団塊の世代を筆頭に圧倒的な高齢者層を構成している。しかしこれが今や労働しないで高額の年金暮らしをしているとしてヘイトの対象だとする。しかもこれを世代間の争いになるとまで指摘する。はたしてそうだろうか。確かに東京にはそういう高齢者が多くいるが、日本全体を見渡せば一概にそう言い切ることはできない。
弱者を嫌う風潮が存在するなどどいえば、相模原の施設の殺人事件の発想が異常なものではなく、あり得る考えと容認することにはならないか。働かないで、ポルシェを乗り回す高齢者などは限られた存在であり、若者にとってはヘイトというよりも羨望の対象かもしれない。
お金を持っている高齢者が必要とするものを高額でいいから開発するなどの提案をしているが、その程度のことは真っ当な経済学者がすでに語るところとなっている。読者が文学者に求めるものは、もっと心の問題なんだがなあ。