憲法記念の日に思う
今日は憲法制定から70年という年の憲法記念日。有明では憲法集会が開かれる。憲法を大切にしようという人たちの集会だ。当然そこに馳せ参じるつもりでいたが、体調不安定のため在宅にてしっかり憲法のことを考えることにした。
思えば、古い話だが学生時代は憲法のゼミを選択していた。当時は大した意識もなく、成り行きでそうしていたが、今になって思えば明らかに学習不足だった。当時の年齢に至るまでの歴史教育では、大した問題意識を持つに至る知識がなかったというのが言い訳がましいが事実だ。それと当時の学生はベトナム戦争反対の論議や、中国で進行する文化大革命などへの関心が高かった。学生運動は盛んだったが、セクト間の争いの方が目立った感がある。赤軍派の事件も結局は内部崩壊の過程ともいえる。
一般学生は、自国のこととなると「戦争を知らない子供達」という歌に平和を享受しながら、「受験戦争」に参加していた。
ともあれ、日本が現行憲法を制定するに至るには敗戦という経験を経てのことだ。満州事変から太平洋戦争、そして敗戦に至る経過は船戸与一氏の「満州国演技」に詳しい。これは読むべき本だ。その最終巻に歴史の総括がされているくだりがある。
日本民族は、ペリー来航から敗戦までの90年の間。欧米列強による植民地化を免れるために、自らアジア拡大策を推進してきた。そのことが吉田松陰の主張であった。それで今でも政界で長州閥が幅をきかすとすれば、時代錯誤的な流れがはなはだしい。
敗戦後の混乱を経て、主権在民の考え方で憲法が制定されてから70年。今年66歳になる自分は、この憲法に守られて生きてきたとも言える。であるからして単純にいわゆる護憲派ということではない。
今日の朝日新聞は憲法論議が盛りだくさんだった。改憲が必要という人の意見まで出ていた。憲法改正が必要という論拠は、これが占領軍による押しつけであるという点があるが、これは事実と違う。期間が短くとも日本の識者による検討がされている。発案者に外国人がいたとしても、これを追認して70年の長きにわたりその憲法の下で経済発展をして平和を謳歌してきた実績がある。外国人と言えども当時の米軍の手先ではなく、まじめに民主主義の新しい国にはどのような規定が必要か、戦争を繰り返さないためにはどうするか真面目に熱意をもって検討されたものだったらしい。仮に制定過程に問題があるとすれば、占領軍が撤退してすぐにしかるべき手続きによりすぐさま見直しをすべきだった。そこをしないで、またはする必要がないと判断してきた代々の政権自体が追認していることになる。そのように冷静な憲法学者は述べる。
もう一つの改憲派の論拠は、現在の情勢から緊急事態に対応できる軍備が必要というものだが、これもおかしい。自衛隊という名の軍事力をすでに備えている。このための予算も半端ではない。この軍事力が発動するきっかけは、自衛のためにやむを得ない場合であり、それ以外はないことが憲法に規定されている。しかるに安倍政権は憲法違反を犯して同盟国のために自衛隊を出動させている。
中国、北朝鮮を指して緊急事態の可能性をいうこともおかしい。中国とは、魚釣島すなわち尖閣諸島の問題が取りざたされているが、これは代々お互いに不問にしようという申し合わせを無視した石原元都知事の不明によるところが大きい。国有化などということを宣言する日本がおかしい。自らまいた種で危機宣伝をしている。
北朝鮮については、当座の問題はひとえにやんちゃ坊主のようなキムジョンイルがどう出るか、ということだが、トランプ大統領のいうように彼はそれほどバカではない。史上最大規模と言われた先日の軍事演習は、単なるデモンストレーションで、どこかが危ないということではなかった。ミサイル打ち上げも他地域に届く前に爆破させている。
米国も艦隊を北上させてデモンストレーションをやっているが、何かの間違いが起きない限り本気で戦う体制を作っているとは思えない。日本がアメリカに付き合う必要はどこにもない。日本の存在は、軍備でなく戦後の発展を支えた技術力、経済力で世界に存在感を十分に示している。簡単に他国からミサイルを撃ち込まれるほど軽くはないはずだ。
危機宣伝に振り回されてはいけない。宣伝しているのが政府だからどうしようもない。まんまと騙されている国民が多い。政府の報道機関のようなマスコミのせいでもある。
それと、改憲の草案として出ている自民党の憲法草案はひどい。個人の権利を無視して、国民を全体としてとらえる。全体のために一部の犠牲はやむを得ないという考え方が見えみえだ。日本の全体のために犠牲になっているのが沖縄であり、フクシマだ。福島以外の原発地域も同じ。事故が起きていないだけ。だから「東北でよかった」などと発言するモノが政治家のなかから出てくるのが現状だ。防衛大臣は論外。
今日はこれくらいにしておこうか。