天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

追悼文

 追悼文というのは、亡くなった方を偲ぶ言葉だ。従って、故人の思い出であり、その思い出は文章に書くからには美しいものでなくてはならない。本当は必ずしもいい思い出だけではなかったとしても、追悼文となるとけなすことはない。いかに敬愛されていたかとか、業績に見るべきものがあったとか、色々ということがあるだろう。
 しかし、そういった追悼文ばかり次々に読むと、なんだかおかしな気分になってくる。弔辞とも言える文章をいくつも読んで、立て続けにお葬式に参列しているような気分になる。
 実は、司馬遼太郎氏の「以下、無用のことながら」という随筆集の後半は、この追悼の辞が数多く集められている。それぞれは、書かれている対象の人、即ち亡くなった方と司馬さんの関係が彷彿されて興味深くもある。しかし、続けて色々読んでいると内容のほかに、その書きぶりに一つの共通点があるように感じられた。司馬さんの言い方、述べ方としての共通点だ。
 即ち、司馬さんは亡くなった方とのエピソードを書くだけでなく、その人はもういなくなったのではなく、自分の中に生き続けているというようなことを随所で書かれている。自分が深く影響を受けた人の場合は殊更そのように述べられている。
 この言葉は、残された家族・縁者への温かい言葉であると同時に、司馬さん的には事実でもあるだろう。司馬さんの考え方や文章の作方など、司馬流というものがあるわけだが、その流儀が形成される背景には色々の人との出会いがあったわけだ。出会いは、書を介しての出会いということもあるだろう。
 その意味で、今は亡くなった方もその接した相手である司馬さんに何らかの影響を及ぼしたわけで、特に印象が強かったり敬服していた相手であれば、司馬さんをして自分の中に生き続けていると言わしめたのだろう。
 こういうことは誰にでもあることで、先達に広く学ぶことをすればするほど、影響を受けることが多くなる。他人の言うことを聞かないというスタンスでは成長は望めない。司馬さんの中に色々な方が生きているということは、司馬さんが多くの方々と出会い、そのいいところを吸収することに余念のない方だったからであろう。であればこそ、ご本人の資質へのいい影響があったせいであのように多くの名作と言える小説や文章を残すことになったのだと思う。
 自分もかくありたいと思いつつ、上記を司馬さんに対する称賛の言葉であり、今更ながら私からの追悼文としておくか。