天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「リスボンへの夜行列車」より

 父親にとって、子供たちに恥ずかしくない存在でいることが、どれほど難しいことか!そして、弱さ、盲目、誤謬、卑劣さといったすべてを抱えた自分という存在が、子供たちの魂に刻みこまれてしまうという思いに耐えるのが、どれほど難しいことか!
 以上は「リスボンへの夜行列車」の一節。脊椎炎の病気を持った、判事を職業とする父親の息子への手紙。息子もまた自分の本心を表した、思索的な手紙を父親あてに書いているが、どちらの手紙も相手に読まれることは無かった。手紙の形で心境を吐露することに終わっている。そういうことって、親子の関係に限らずありうることだろう。
 ところで前段の一節は、ともすればそう思いがちなことではあり、少し前の自分もそう思っていたと言える。今も基本的にはそのような思いがないと言えばウソだろうが、もう少し開き直れるようになっている。どの道自分も一人の普通の人間なのだから、カッコつけすぎなくてもいい。父親だろうが何だろうが、一人の人間として見れば、さほど完ぺきな存在であるわけがない。
 子どもといえども、一定の年齢に達すれば、親は親であるがゆえに特別かもしれないが、人としては他の人達と何ら変わるものではないことは分かっているはずだ。だからカッコつけなくてもいい。けれど悪ぶることもないので、自然体でいればいい。
 この本は、色々なことを考えさせてくれる本であるな。