天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

秋の味覚と夜長

 朝早く通勤電車に乗り、一日中オフィスにいて、暗くなってから帰る生活では気温の変化以外に季節を感じる暇が無かった。今も基本的には同じ生活が続いているのだが、今年の7月から新宿勤務となった。朝の新宿駅からすぐ外に出ると、即ち地下から地上への階段を上ると空が見える。高層ビルが多く、地下道でなく地上を歩くようにしているので、つい上を見る。10月になると空の色が変わった。都心ですら済んだ秋の空が見える。
 
 季節感を感じるのは、空ばかりではない。特に秋は食べ物で季節を感じる。秋刀魚、ブドウ、栗、柿、などなど。今日は家内の誕生日ということもあるので、スポーツクラブの帰りにケーキ屋さんによってみた。日ごろこういうことをしないのだが、汗をかいてすがすがしい風を受けながら歩いていると、ついケーキでも買って帰ろうかという気になった。そこで買ったのがこれ。栗のケーキばかり。ま、いいか。
 栗のケーキは、苺のケーキより高かった。栗が今年は豊作なのかどうか。ドングリは不作らしい。おかげで山からクマや鹿やタヌキたちが食べ物を求めて市街地に出て来ているらしい。
 秋は「食欲の秋」だけでなく「読書の秋」とも言う。秋の夜長には食べてばかりいないで、じっくり本でも読むのがいい。通勤電車で読むのとはまた趣の違う本を手にしてみようか、と言う気にもなる。読書は「心の食べ物」という気がする。今読んでいる本のなかで、昨日今日で心に響いたところを書きとめておこう。
 北方健三の「水滸伝(四)」より、
「なにも、いわなくていい。こんな時、言葉などなんになる。私はただおまえのそばにいよう」
「自分が駄目だと思っている男の方が、駄目ではないと考えている者よりずっとましだ。人にはどこか駄目なところがあるものだからな」
 中村哲医師の「ダラエ・ヌールへの道」より、
「近代化とは果たして進歩か、はたまた退歩であるか。我々が自分の素朴な感性を磨滅させ、得体の知れぬ情報で踊らされる仮構に生きているのか。静かに思えば考えさせられる怖い話ではある。」これは、中村医師がアフガニスタンの奥地へ行って、そこの近代以前の生きざまを見て感じたことだ。ほんと、そこのところを我々はよおく考えた方がいい。