天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

会社挙げてのゴミ拾い

 業界紙などを見ていると、1社ならず公園の掃除やゴミ拾いを社長自ら参加して、社会貢献をアピールしている記事が目につく。毎年恒例であったり、何かのタイミングでそのようなことをしたりする。しかし、例えば保険会社に消費者が期待していることはゴミ拾いだろうか。あるいは家電メーカーには安い省エネ器具を作ってほしいが、ゴミ拾いは期待していない。ゴミ拾ってる暇があったら早く保険金を払ってくれ、もっと性能のいい電気製品を作ってくれと言いたい消費者がいるのではないだろうか。これは社員教育なのかというと、これも違うような気がする。目についたゴミも拾えない社員を雇っているのだろうか。
 勿論、公園や公共の場を掃除してきれいにするのは悪いことではない。いや、いいことである。朝早くとかに、会社をリタイアした人がゴミ拾いをしたり、ちょっとした花を歩道のあいた場所に植えて、通る人々の心を和ませるということをしてくれている場面を時々見る。それでいいのではないか。ご本人は十分時間もあり、体を動かして自らの健康のためを兼ねて、一種の社会貢献をしている訳だ。
 企業というものは、その本来業務で客の満足を得るために最大限努力すべきではないか。例えばリサイクル運動などは、社会全体が取り組むべき課題である。なので、一般の会社としては、その会社の活動の中で出るゴミを減らすなり、正しい分類で処分することを徹底すればいいのであって、公園のゴミまで片付けに行って点数稼ぎをする必要はない。
 施設の美化はその施設自体の課題だ。最近行かなくなったが、ディズニーランドでは専門のゴミ拾いさんと言ったらいいのか、掃除隊と言ったらいいのかわからないが、そういう人たちが常時施設内を回っていて、落ちたゴミが5分と同じところにとどまっていることは無いようだったと記憶する。
 この前行った中国の武漢の新幹線の駅も、新しく出来たてでピカピカだったが、広いロビーをモップを持って拭き清めているおばさんがいた。1日中あれが仕事なのだ。美しく保つにはそのように人手がかかり、つまり費用がかかるというわけだ。それを、施設と直接利害関係のない企業が、企業イメージのアップのためにゴミ掃除をしだしたらどういうことになるのか。中国の駅でそういうことが定着したら、掃除のおばさんは明らかに職を失う。余分なことはしてはいけない。勝ち組企業の社員が、気まぐれにやっと雇ってもらった人の仕事を取り上げるようなことをしてはいけない。施設を建設、運営する側は他人の善意で設備を保とうとは考えていないはずだ。
 地域の問題は、地域として解決するべきだ。会社の社長が、自分の住む地域のために個人として活動に参加するとか、活動を起こすのはいい。個人のステータスでやることだ。これに社員を手伝わせるとしたら、それはおかしい。中小企業のおっさんが、家族ぐるみで地域の問題に取り組むのはいい。これは会社というより家族の問題だからだ。
 そもそも、企業の社会貢献とは本業で勝負だろう。一昨日、麻雀の帰りに某社の社長(先輩)が車の中で、儲かった会社が本業以外のことにお金を使って社会貢献というのはおかしい、という考えを話されていた。ゴミ拾いの話ではない。学校を作ったり、寄付をしたりということだ。その考えには私も賛成。
 国内であろうと、海外であろうと、貧困や飢餓の問題は、そういう問題があるからと言って寄付金を集めて、あるいは出して、困っている人にくれてやるということは単なる自己満足に過ぎない。問題解決になっていない。雇用の創出とか、そういう国とのフェアな取引とか、企業活動、経済活動そのもで状況を改善する努力をしなくてはならない。かように思うわけですが、企業のゴミ拾いはまだ続くのだろうか。