天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「abさんご」 黒田夏子著

 最高齢者の芥川賞受賞で話題になったので、買いもとめておいた。が、ひらがな多用の横書きなので、読みにくかったため少々積読して温めておいた。
 いざ読んでみての印象。思う事どもを記しておこう。
 兼語分。だらだらと長く続く文章は、読んでいる箇所がいつの間にか全体が主語の役目になったり、文章自体が予想外なつながりになりながら、きわどく意味がつなってゆく。目的語が次の動詞の主語を兼ねる兼語文という中国語の文法用語を想起した。
 とるにたらないことどもを、記憶の出るに任せて書きつづっているようで、全体として流れが無いわけではない。いや確実にある。終戦直後の貧しかった頃に、片親を無くして以降の暮らしの様子、とりも直さず作者の体験的私小説であろうと推察するものの、その私小説らしさを消す役割か、はたまた具体的な顔が見えないままに状況を表現しようとしているためか、固有名詞が一切使われていない。なので「a」と「b」という記号で個を示している。
 更には色々なことを思い出させてくれる。小さい頃の生活感覚。昔、日本がみな貧しかったころ。ノスタルジックな感じがしないでもない、という印象を受けるのは、読み手である自分が書き手とさほど遠くない時代を生きていたせいだろう。
 長い文章は、女大江健三郎といった感じもする。ひらがなが多いので女性作家の雰囲気が十分出ている。現代版枕草子か?ちょと作風は違うカモ。
 いづれにしても、書き手の方がこれだけ色々と手間をかけて技巧を凝らしているのだから、読み手の方も少し読み方を工夫してはどうかと思い、あと数ページのところで後ろから読んでみた。不思議なことに、この難解な文章でも先に結論を見た思いがする。
 それから、ただ文字の連続を追ってゆくのでは頭が混乱しそうでもあるので、ひとつ一つ何を、あるいは誰のことを表しているのか具体に置き直して状況分析をすると面白いかもしれない。が、それは書き手が読者に期待するところではないだろう。注意深く読み進んで、けむに巻かれながらそこはかとなく、懐かしいような気分を感じる。それでいいと思うのだが、どうだろうか。ヒマなら分析に挑戦してみても勿論いい。