天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

明日

 明日は3月11日。あの大地震からちょうど1年。TVなどではあれから1年たって日本の現状はどうなっているんだ、というような番組がもり沢山。
 お亡くなりになった方々や、被害にあわれた方々にはまことにお気の毒と言うほかない。テレビ番組の語る主な点は、被災された方々が元気に立ち直りつつある様子とか、いかに世界中から支援の手が差し伸べられたかとか、多くのボランティア活動が今も続けられているというようなことだ。
 これらのこと自体は、我々人間も捨てたものではない、結構助け合って生きてゆくことを体現しているではないか、と思わせてくれる。その一方で、ボランティア活動は個人の善意に頼っていてこれを有効に持続させるための行政の機能が不足しているなどの問題点も指摘される。
 被災地の所有者がここを処分する際の土地の値段なども、ご当人にとっては大きな経済的問題だ。こういったことも、持てる人と持たざる人とで生活への影響の大きさに差が出てしまう。
 大切なことは「忘れないこと」とさかんに言われている。まさにしかり。1年前の大災害からの復興という問題は、戦後の焼け野原から日本が復興したことを思い出させないだろうか。戦争のことも忘れてはいけない。私たちは「戦争を知らない子供たち」などと得意げに歌った世代であったが、自ら知ろうとすることで、何が問題であったのかを知ることができる。体験してないから知らないとしてはいけない。知らないから自分にかかわりあいが無いとしていていいのだろうか。
 日本以外の地域でも自然災害は起きており、被災している人たちは大勢いる。そのことも知るべきだし、今回のことで日本人として更に反省すべきは、原発のことをもっと真剣に監視して来るべきだったということがある。これを安全なもの、化石燃料を使用しないクリーンなものというまやかしの宣伝をしてきた当該企業やメディアの責任は途方もなく大きい。が、我々も世界で唯一の原爆の被爆国の国民でありながらことの重大さを忘れていたのではあるまいか。忘れてしまって、原発のチェックを怠っていたのでは。
 「忘れないこと」というのは、過去に起こったことも我々人類の出来ごととして忘れないことが大切だろう。