天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

瀬戸内の旅(4)倉敷

 旅行最終日は、倉敷の大原美術館を訪ねることが目的だった。まずは瀬戸内マリンホテルの朝食バイキングの写真から。 倉敷に行く前に、水島コンビナートの脇を通過。造船所もま近で見ることができた。
 倉敷には、前提知識ほとんど無しで行って驚いた。まず、昔ながらの街並みが残っていることに驚いた。昔の街並みが保存されている辺りは美観地区と呼ばれている。そのまんまという感じだが、その中に大原美術館がある。美術館の正門前を流れる掘り割には並木が影を落とし、実に風情がある。
 IVY SQUAREというレンガ建てのホテルが異国情緒を醸し出している。これは昔の紡績工場(倉敷紡績)の倉庫あとを改造したものらしい。その名の通り、蔦の絡まり具合は見事だった。
 歩いていると、どこからともなく地元のおじさんがそばに来て、この街のことを教えてくれる。ボランティアでそういうことをやっているらしい。美しい街を誇りに思って観光客に説明をしている。リタイア後のおじさんの時間の使い方としてはいいことだろうと思う。
 ところで、倉敷はなぜ戦争の被害を免れて古い街並みが現代まで残ったのだろう。ということについて、昨日中国語教室の先輩が教えてくれた。それは大原財閥が戦前から世界の美術品を集めており、これを焼失することを避けたということだ。京都が焼かれなかったのと同じ理由らしい。
 京都は日本の古都であり、おのずと古い建物や美術品が保管されていることは分かりやすい。ではなぜ倉敷が、というとこの地の大原孫三郎とその子、大原総一郎の貢献であるということだ。
 地元の庄屋の家に生まれた孫三郎は、現早稲田に遊学したが放蕩息子のような生活をしていた。それが、実家の紡績工場の工員たちが無学であることに驚き、そこから彼らの教育を考えるなどして、工員を大切にするようになったとのこと。その教育の一環として世界の美術品を収集するようにもなった。そしてこのことが、戦争被害を免れることにもつながったのだ。

大原美術館の正門。

美観地区で、あまりの香りのよさにひかれて入った珈琲館のコーヒー。ここは、永六助などの著名人もよく来るらしい。

瀬戸内海と同じ水位の運河。

アイビースクエアーの横のとおり。この並びの店で、今回の旅の最後の昼食をとった。

毎回飽食が続いたので、最後はおでんでビシッと決めた。