天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「一週間」井上ひさし著

 これは井上ひさし氏の遺作とも、最後の長編小説とも言われている。出版されたのは昨年。この本にはまえがきもあとがきも無い。氏が昨年逝去されたためだ。なので、本人がどのような思いで、あるいはどのような背景でこれを書いたのかは、この本だけ読んでいたのではわからない。参考文献がいっぱいあるので、相当事実を調べてから書いたであろうことは想像できる。
 書かれている内容は、ハッピーエンドではないが、氏独特の言い回しで、暗いことも冗談のように綴られる。久々に氏の文章を読んだので、文章自体になつかしさのようなものを感じた。そして、慣れれば読みやすい文章であると再確認した。 
 私が井上ひさし氏の本を読むようになったきっかけは、学生時代のサークルの先輩から、夏合宿の時に「顔が井上ひさしに似ている」と言われたことだった。その頃は、そう言われると似ていなくもないと思ったが、時が経つにつれて次第に似ている度合いが薄れていったような気がする。
 話をこの本にもどす。タイトルのとおり、一週間の出来事が書かれているという仕立てになっている。問題はその場所と時代だ。第二次世界大戦直後、シベリアに抑留された日本兵の、その頃のある一週間の話だ。我々の父親の世代で、シベリヤに抑留された経験を持つ人もいる。そういう人たちの経験談のようなものを、父親や、小学校や中学校の社会科の先生達からも聞いたような気がする。確かに寒いところだ。そこで捕虜となった旧日本兵たちは、その場所で命を失う人たちが多かった。それくらい寒く、かつ食べ物も粗末だった。ということばかりを聞いていた。この本は、「しかしてその実態は!」ということを、井上ひさし風に綴ったものだ。
 問題は三つあり、興味深い点もある。問題の一つは、ロシア、その頃はソヴィエト連邦だった。そのやり方。共産主義の革命後、それほど時が経過していない頃のロシア。捕虜を奴隷のように労働力として使う。そういう未文化な点があったということ。そして後の二つの問題は日本側の問題だ。まず、日本が降伏に際して、旧関東軍即ち満州在住の日本兵たちを労働力として労働奉仕させることを、降伏の条件として認めたこと。一種の棄民だ。そのためにソ連は堂々と日本兵をシベリア各地に送りこんで労働に従事させた。
 そしてこの本でもっとも問題にしているのは、その捕虜収容所の運営が旧日本軍の形態のままに運営されていたことだ。つまり、旧日本軍の上官が兵隊たちの食糧をピンはねし、労働はせずにのうのうとしていたことだ。ソ連側もその方が兵隊たちをコントロールする手間が省けたということもあったろう。そのために、捕虜の兵隊たちは体力を失い、過酷な労働に耐えきれずに死んでいった。また、そのことに意義を唱えたものは私刑により命を失ったということもあった。
 そういう悲惨な過去の事実を、井上氏は彼一流の文体で書き綴る。おっと、興味深い点を忘れてはいけない。それはやはり女性。ここに何人かのロシアの女性が登場する。皆、主人公たちに優しい。優しさの中にはセックスもともなう。これは、かなりの部分は話を面白おかしくするための展開だとは思うが、まんざらこの傾向はウソではないと思われる。欧米の女性の性に対する感覚を元に書かれているのだろう。ロシアとてその点は例外でもなさそうだ。それは、元の会社のロシア駐在員からも報告されていたことだった。
 ともあれ、これは、この本は井上ひさし氏の遺作と言われるのにふさわしい本、という評価ができる。