天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

中国にて(1)

 今回の広州への旅のこと。今回もそれなりに行動予定を立てて行ったが、計画通りにはならなかった。東莞を見るつもりが、マカオに行ってしまった。その理由は、東莞に行こうとしていた前日に友人Aとそのまた友人Bと一緒に食事をした。実はBとも数年前に一度会っていた。そのBさんが、明日は「東莞よりもマカオに行こう」と言いだした。
 AとBは、去年一度マカオに行ったものの、どこへ行ったらいいのか分からずすぐに帰ってきた。その後彼らの友人Cにマカオで遊ぶ場所について情報を得たらしい。そこで、Cを誘ってまた行こうということだった。
 マカオで遊ぶということは、ギャンブルをするということだろう。ちょっと見てみたいという程度だと言うし、私の友人Aはどうかと聞けば、「前回は何も見てない」と東莞よりもそちらに興味がありそうだった。
 私の中国旅行の目的は、ディープな中国の中に入ってゆくことなので、彼ら現地中国人の意向に沿って行動を共にするのもディープな体験だと思い、不本意ながらOKしてしまった。するとすぐその場で電話で翌日マカオへ入境する珠海までの車を手配した。バスもあるはずだが白タクだった。決して安くはない。
 翌日は3人の中国友人とまず白タクに乗る。個人の乗用車なので、そのへんを走っている本物のタクシーより大きく乗り心地がいい。マカオに入ると、カジノのある豪華ホテルのシャトルバスにすぐに乗り込む。降りればすぐにカジノへ。
 「僕はギャンブルはしないよ」と言っておいたので、私は見るだけという態度に徹した。そのカジノの中にはもう三日間そこに入り浸っている彼らの友人Dがいた。もうこうなったら彼らのすきにさせて、行動観察をすると腹を決めた。それにしてもひとに金を借りて(決して返ってこないことは承知で貸した)彼らが遊ぶのを待っている間、腹立ちまぎれに次のような思いを書いた。

⇒明日帰る予定だが、なぜか今はマカオのカジノにいる。
ここも謂わばディープな中国には違いないが、ここで遊ぶ人たちは私が気にかけるべき人たちではない。
そもそも、博打とは何か。お金に余裕のある輩の遊びであり、博打に入れ込んで財産を失う輩もいる。 儲かったとしても労働の対価として受け取るお金ではないので、マネーゲームのあぶく銭だ。
どこからどこへの財の再配分という理屈が成り立たず、搾取の構図でも無いとすると、やはり単なるゲームだ。お金のかかるゲームをする人は、金持ちの部類というべきで、彼らがよりよい生活をしてゆけるように援助をしたい相手ではないということだ。
中国人であふれるカジノを見ていると、なぜか豊かになった中国を無条件で喜ぶことが出来ない。もう沢山だ!という感じがした。
 広いフロアの大半はバカラをやっている。カードゲームだが、デジタル化されていて、カードを配る人の横には勝敗が自動的に表示されている。勝敗が着いた時のカードの絵まで出る。

 バカラのテーブルに群がる人々。こっそりカジノで撮影した。
 スロットマシンも完全にデジタル化されているので、昔のようなレバーなどは無くなり。ボタンが並んでいる。
バカラに群がる人たちがバカ等に見える。友人達もその仲間だ。ギリギリまで辛抱強く待つとするか。怒らないことがバカラしくならないうちは。こうしている私はただのお人好しに違いないが、意味の無いことなど、この世に無いらしいし…

という具合に腹が立っていた。
 いつまで待ってもきりが無いので結局友人Aを促して、残りをその場に残して二人で広州に戻った。