天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

鄭和

 鄭和と言えば、知る人ぞ知る。知らない人は何もしらない。知らない人の方が多いかもしれない。がしかし、少し前にはNHKの歴史関係の番組でも紹介されていたので、徐々に名を上げつつあるかもしれない。今ごろになって。
 というのは、この人は明代の航海家。彼は、東南アジア、インドからアラビア半島、アフリカにまで航海をした。行く先々で小さな国々を服従させて、膨大な貢物をさせていた。遠くまで航海するには大きな船に乗っていた。それが突然外国との海路による接触を絶ち、宝船と呼ばれたその船も設計図も設計図も失われた。以後、中国は鎖国の時代に入ってゆく。
 北方民族の侵略により清が成立したが、彼らは中国化し、鎖国政策を堅持していた。その間にあっても唯一ヨーロッパを中心とした海外との交易を認めていた場所が広州だった。私になじみの土地。
 中国はどうして鎖国政策をとってきたのか。その広大な土地は、十分に人々を養う農作物を収穫することができたからだろうか。漢字を筆頭に、中国の文化は古代から生まれ、育ち、随や唐の時代には東洋の中心にあって君臨していた。元に至ってはヨーロッパに及ぶ更に広大な地域を征服した。それが他国との接触を制限していた。農民は決して裕福であったためしがない。
 ともあれ、その鎖国状態を無理やりにこじ開けたのがイギリス。アヘン戦争だった。そこから中国の悲惨な歴史が始まった。列強に国土を蹂躙され、しまいに日本の侵略をうけた。しかして、世界の国々(連合軍)の協力を得て日中戦争に勝利したものの、国民党との戦いに勝った共産党はまたぞろ鎖国政策に出た。自らのイデオロギーを堅持するためには、人民が外国の資本主義の影響を受けることを恐れたのが最も大きな理由であろう。充分に人民を養えるはずの国土において、政策のまずさから大変な餓死者を出し、路線の見直しは必須となった。そこで、訒小平の改革開放となったわけだ。
 その後、急に飛ぶが2003年にWTO加盟を果たし、中国は世界の経済の動きの中で、その一員となった。そうしなくては、国内だけでは立ち行かないところまで行ったのだった。あの広い国土を有しながら、自国内だけで立ち行かないようになる理由は、ある。あるがここではそこに言及しない。
 ともあれ、今や米国に次ぐ経済大国となった。総量ではそうだが、庶民である人民の生活レベルのボトムアップにはまだまだ時間を要する。時間が経ればボトムアップされるだろうか。そうであってほしいが、少し疑問。
 あの鄭和が、一代で終わらず第二、第三の鄭和が出ることにより中国が明代から海外貿易を大々的に継続していたら、世界の様子はすっかり違っていたかもしれない。しかし、それはレバタラであり、現実は目の前にあること以外にあり得ない。現在の中国の国有企業はどのように活動しているのだろう。中国の本質は過去の歴史が示すように、そう簡単には変わりませんぜ。しかし、徐々に変わって、庶民が平和に楽しく平等に暮らせる日が来てほしい。