天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「哀歌」曽野綾子著

 横浜に通っていたころに買っておいた本。読み始めてみると、なんとルワンダの内戦の話。そこに居合わせた修道女の手記の形式の小説だった。
 アフリカと言うだけで、人種差別、貧困、という言葉が連想される。植民地時代があり、それは、西洋人が彼らを搾取していた時代という印象が強い。
 当時の白人にしてみれば、新大陸発見を発見して新たな世界へ出て行き、自国の領土を広げ、そこから産出される富で自国(=自分)を更に豊かにして行った時代だ。
 しかし。前からあった陸地を初めて見ただけで「新大陸」と名づけ、そこに前から独自の文化と生活手法で暮らしていた人々を、土人とか原住民と呼んで、未開拓の野蛮人呼ばわりをした。そして、彼らを武力で従わせ、奴隷として働かせるようになったのだ。彼らを効率的に支配するために、彼らの中に支配階級と非支配階級とに分断し、一部の支配階級を操ることで多くの庶民を不当に働かせる仕組みを作った。
 この小説の舞台となった内紛は、現地人支配の手段として「民族」を用いたところから悲劇が生じた。
 フツ族ツチ族。単なる争いではない。そこには貧困のゆえに、争いに乗じて物取りをする。殺戮も物取りの手段だ。そして、そのような出来事が一定の周期で日常的に起こりうるかのような、諦めに似た死の受け入れ。キリスト者の世界の話なので、死が安らぎとか祝福という言葉で語られる。
 曽野綾子氏が、貧困社会や格差を本当のところどのように受け止めているのだろうか。キリスト者としての信条が心情そのものであろうか。上下2巻の早くも2冊目を読んでいるが、情景はあまりにもむごい。つい一呼吸おきたくなる。