天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

7月の話

 ダニエルの手紙によると、7月のイベントはアメリカ人にとっては7月4日ということになる。Independence Day独立記念日。中国で言えば10月1日の国慶節に当たる。日本で言えば、2月11日の建国記念日だろうか。この3つの日を比べると、それぞれ国家の成立に関しての重大な出来事があった日であるが、日本のそれは少し古すぎはしないか。最も新しい日付は中国の1949年10月1日だ。アメリカでさえ1776年のこと。日本の2月11日は元々紀元節として明治に制定されたが、その日付の由来は神武天皇の即位の日だという。神武天皇というのは「カミヨ(神代)の昔」の話ではないか。初代天皇として日本書紀の記録にあるらしいが、年号にしたら紀元前の660年の頃の話。戦争中に日本は西暦を敵性の暦として皇紀2600年という催し物をしていた。今年は皇紀で言えば2670年になるらしい。
 気になるのは、日本の建国記念日が本当に今の日本の国家としての体制が整った日と言えるのかどうか、ということだ。米中に比べて根拠に今一つ確信が持てない。日本は、1945年の敗戦時にその後の国家体制をどうするかの論議が米国中心の連合国側となされ、天皇制は残されることになった。しかし、今の日本国憲法では天皇は国民の象徴となり、今も多くの国民の尊敬を得ているものの国家の支配者的存在ではない。明治以降、幕府を廃止して天皇を国家の中心に置いて建国した日本とは少し様子が異なる。
 しかし更に長い目で見ると、戦国時代以降徳川幕府の時代までは実質的に天皇を頂点とする皇族が支配した時代は短かったのではないか。武家と御所側の確執があったものの、支配者は長く武家であった。明治以降も、昭和へと時代が下るに従い、日清・日露の戦争勝利も手伝い軍部が台頭してきた。そして天皇の意図をないがしろにして無謀な戦争に突入したのではなかったか。
 そうすると、武士という階層が登場して以降は天皇を敬いつつも実質的な国家運営は別のところでなされていたと言えよう。しかし、それが神武天皇即位の頃からすでにようであったとは思えない。聖徳太子などは、直接庶民の声を一度に7人も聞いたという逸話があるくらい、政治を行っていた訳だ。
 歴史を専門に勉強した訳ではないので、あまりこういったことを論じても仕方が無いが、ことほど左様に色々と変遷があり、その中でも天皇家というものは維持されてきたことだけは間違いない。建国記念日がいつであるべきかについても、いまだ種々論議がある。ということで、今の日は仮決めのような要素もある。なので、このことの是非を言っても始まらない、ということにしておこう。
 話は7月。世界的にはもう一つ14日と言う日が重要だ。フランス革命の日。1789年の7月14日、バスチーユ監獄の襲撃を機に革命が展開された。これにより、フランスの支配者は王家から国民へと移ることになる。これは革命の元祖。革命と言えば、清朝末期から中国に於いて革命だらけであった。黄巾賊の動きも革命とすれば実に色々。孫文から毛沢東に至る革命家が現代中国を成立させる一連の革命活動を行ったのであり、中国が革命のメッカであるかの印象があるが、実はこのフランス革命こそ庶民が国の運営権を勝ち取るという動きの最初ではなかろうか。そういう意味で、これは国を超えて人類にとって重要な日である。それ以前にももっと小規模で、不合理な支配に対して抵抗活動をした人たちはいたに違いない。しかし、強大なブルボン王朝の支配を終わらせるきっかけとなった革命は人類の歴史においてやはり記念すべき日だろう。
 ともかく熱い7月に人は燃えて、蜂起したのか。アメリカの独立とフランス革命。中国は熱い夏の戦いを終えて、10月1日に天安門毛沢東が独立を宣言した。日本の建国記念日は寒い季節だ。