天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

感動した!

 一日2杯のワインが健康にいいというので、赤ワインを2杯飲んで気分が良くなった。その勢いで「感動した!」ことを書いてしまう。この言葉は小泉さんが首相時代に大相撲の表彰式で発した言葉だ。
 小泉さん論議はちょっと置いといて、私がさっき「感動した!」と思ったのはこの言葉に対してだ。「人間社会は、隣人との関係を調整していくなかで進歩してきたのではないだろうか。」Very much so!英語で反応すればこういうことになろうか。これは唐亜明さんが「さくらの気持ち パンダの苦悩」の中で、中国と朝鮮との関係に触れて書いている文章の中にある。
 国と国との関係において書かれている文章のなかではあるが、個人に引き直してみてもそれはイエスギケンシンだろう。(解説:「イエスギケンシン」というのは「言える!」といいたい時に、更にとても言えると強調する時に「言え過ぎ」と言うところを上杉謙信にもじったギャグ)解説は疲れる。
 個人にしてみたところで、大変言えると思ったのは、たとえば人間嫌いというか、対人恐怖症というか、他人と接するのが煩わしいと思う人がいる。だれでもそういう部分はあるのだが、それが強すぎると、本当に一人の世界に入ってしまう。そういう状況では人は進歩しないぞ、と思うからだ。
 人と接するのは、場合によっては難しい。類は友を呼ぶ式の、同類項の人々と付き合うのはやさしいかもしれない。しかし、世の中は色々なひとだらけ。そういう人たちと平和に、協力し合って共存してゆくには、まずそういう人々と接点を持たざるを得ない。接点を持って、自分の言いたいことを伝えなくては始まらない。しかし、それが自己主張だけに聞こえるようでは、相手の反発を招いてしまって、主張した意味がなくなる。相手が聞く耳を持てるように話さなくてはならない。その相手となる人々の種類が色々あるわけだ。
 隣人と関係を調整するということは、自己を主張し、相手を認めること。そのことができると新たな世界が始まる。新たな世界を見つけるということが、人間が進歩するということと言い換えてもいいだろう。
 そういうわけで「感動した!」
 この言葉を発した小泉さんは、もう政界の指導的立場には出てこないと思う。何故なら、過去の自らの施策に対して大いなる疑問なり、反省なりをしているのではないかと思うからだ。
 彼の現役首相時代は、私も氏のリーダーシップに感動したくちではある。しかし、そのリードした方向が本当に良かったのだろうか、という疑問をさしはさむ主張を読んでは感動している今日この頃だ。なので、再び小泉さんの登板を望む声もあるものの、今の私はその方向性には賛成できないし、ご本人もそのことに気づかれているのではないかと思う。従って、仮に再登板する場合は「反省した!」という言葉とともに再来してほしい。
 ワイン2杯でここまで書くか。