天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

その奥へ

 広州で休暇を過ごした時に、独り散歩をしてみた。何気なく通りを歩くだけだが、そこにいる人たちを見ているのが何故か楽しい。人間の営みというものをとても感じる。
今まで中国で行った場所は、表通りが中心だ。裏通りにはさして用事もなかった。表通りは、広い道と沢山の車でいっぱいなのだ。三元里大道という道を、車と人の喧騒の中を歩いていると、ふと露店の並んだ通りを見つけた。思わず引かれて入ってゆく。

他でも見た食材中心の店が並んでいる。たとえばこの鶏たち。

 鶏の詰め込まれた大きなカゴの上には、羽をたたまれた鴨が二羽。そして小ぶりで丸々した白い鳥が、逃げもせずお盆にまかれた穀類の餌をついばんでいる。皆、誰かが買ってくれるのを待っているかのようだ。決して悲しそうな表情はしてない。だれかに食べられ、その食べた人の血となり肉となるのが自然であるかのように、自然の循環の中に当然のように存在している。鶏肉は、肉屋でさばかれたものしかイメージしなかったころは、このような風紀を見ると驚いたものだったが、今はもうこれが自然の姿と思えるようになった。そうなのだ。人間の社会は、商業化されて行くにしたがって、自然の姿を失ってゆく。そういうことを気づかせようとしている本を今読んでいる。
 それはともかく、散歩の話だ。露店を見ながら奥へ奥へと歩いてゆくと、突き当りに到着、と思ったら、人が一人やっと通れるような本物の路地があった。そこから人がときどき湧くように出てくるので、つい更におくへ行ってみた。路地を抜けると狭い道が伸びていた。人通りは少なく静かだ。そんな通りでも食べ物を作って売っている小さな店もある。買う人がいるのだろうか。と思っていたら、チビタンが二人、体を寄せ合ってお菓子を分け合って食べていた。

 広い通りと並行した静かな路地。そうだ、もともとは人が集まって住んでいた場所には路地しかなかった。車が沢山走るようになったのは最近のことなのだ。こちらの路地の方がこの地方の本家なのだ。

路地を抜けたところ。
緑の池もあった。
当たり前のことが分かった。いい休日だった。