天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

忍者と現代社会

 「ペルシャの以幻術師」というタイトルの文庫本を読んだ。掲題の作品の他、短中篇が数編乗っている。司馬氏がなぜペルシャ、と思ったらモンゴルが攻撃した先の国であった。そしてその他の作品は、伊賀の忍者を題材にした作品だった。どれも司馬氏の初期の頃の作品のようだ。
 忍者といえば、少年時代に漫画やテレビ番組で見て、その立ち居振る舞いにあこがれたものだ。「忍者部隊月光」などという番組もあったな。しかし、この本を読んでみると、あの身のこなしが素早く、闇の中で活躍する忍者たちは、実は大変な苦労人だったことがわかる。上忍と下忍に分かれているらしい。司馬氏がこれを題材にしているのは、彼がこの近くの出身ということのためのようだ。
 ともあれ忍者。忍者の実態の姿としては、食べるために体を鍛えて生き残る。ただそれだけ。戦国の世の中で、武士にはなれず農民の次男坊が土地も引き継ぐことができず、忍者屋敷に売られ、そこの厳しい修行に生き残った者だけが下忍として重宝がられる。そこでは、現役だけが生きられる。年老いた忍者は、若い忍者の卵たちの指導役として役目を果たす。稼ぎは無い。現役忍者たちの稼ぎの中から食べさせてもらっている。今で言えば年金で食べさせてもらっているようなものともいえる。情勢が変わったり、いい忍者がいなくなった忍者の館は、稼ぎの無い老忍者達をリストラする。リストラしなくては皆が生き残れない。
 リストラは、失敗をした若い忍者に罰を与える役として、勝負をさせる。結果は当然若者が生き残り、老人は命を失う。それも喜んで失う。納得ずくで死んでゆく。これが忍者の世界だったのだ。
 「伊賀の影丸」という漫画もあった。かっこいい若い忍者が主役の漫画。しかしそう思ってみると、「影丸」などという名前は、個を表す名前ではない。誰もが影丸なのだ。現代の大きな会社の中でも、個は関係なく会社に利益をもたらす優秀なパーツが必要であり、それらの稼ぎによって会社が成り立ち皆が食べられる。
 忍者の世界では年金生活もいつまでも続かない。現代社会が忍者の世界と似ているとすれば、年金をあてにした生活はいつかは終わる。生涯現役ということはできるかどうかわからないが、重大な意味合いを持っているとも言えるのではないだろうか。