天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

甘苦上海

 久々に何も予定の無い休日。新聞の最終ページに、この前までこの新聞の連載小説だった「甘苦上海」の著者、高樹のぶ子さんが連載を振り返って一筆書かれていた。
 連載小説そのものは、始めの頃は中国上海が舞台というので興味深く読み始めた。が、中年女の男との関係を面白おかしく書いたもの、という印象を受けてしまい「追っかけ読み」をやめてしまった。最近になってまた少し、「何が言いたいのだろう?」と最後の1ヶ月くらいの部分は読んでいた。
 今日、ご本人の弁を読んで、「ああそういうことか、結構面白いテーマだったのだな」と思った。曰く、男も女も50を過ぎて、男性でも女性でもなくなった「枯れ木の山を、若い人たち疲弊しながら支えなくてはならないという暗い未来」を明るくし、「有性寿命」の延長に貢献したかった、ということだそうだ。
 社会の現状が、そのようであることは事実。しかし男女間の関係をあまりに奔放に追いかけ過ぎると、人間関係が複雑になってトラブってしまうことがあるのでは。最近読んだダニエル・スティールのKALEIDOSCOPE(万華鏡)も、男女の問題から起きた不幸な出来事が主題の小説だった。小説は単なる「話」ではあるが、「事実は小説より奇なり」。現実にも男女の問題から不幸なことも多々起きているのだろう。
 更に思うに、不幸になるかどうかは結果論。行動してみなくては分からない。やらずに手をこまねいて、思いを残しながら諦めることはない。行動して幸せになるなら、それは実行すべきだ。老いらくの恋でもいいのかもしれない。
 仕事も同じ。特に起業系の仕事は、リスクもあるが自らやり始めなくては何も始まらない。恋も仕事も、失敗することを恐れていては出来るものではない。失敗することは、何かを失うことでもある。「失うことを恐れるな」というコピーが妙に心に突き刺さる。
 失敗したときの処理方法は、赤塚不二男に任せよう。
「これでいいのだー、これでーいいのだ。」この処理方法は万能。これは、どのような場面にも適用できる。大いなる癒しの言葉だ。
 閑話休題。話が行き過ぎてしまったが、「枯れ木」の山を若者たちが支える構図自体はなんとかしなくてはならない。「生涯現役」ということをモットーに頑張る人たちは、決して枯れ木ではない。答えはここにあるのではないだろうか。