中国の物乞い
最近日本で見なくなって、中国にあるもののひとつに物乞いがある。何故日本に無くなって、中国にあるかというようなことは自明なので、ここでは私が色々考えさせられた場面を紹介するに留めます。
よくあるのが観光地など、人の集まるところでタクシーを降りると、お椀などを手に持って何か言いながら(銭を恵んでくれというようなことを言っているはず)迫ってくる人たち。お寺などの観光地では、お年寄りの物乞いが多い。具体的に何を話しているかは、中国語のヒアリングが未熟な私には知る由もないが、彼らの態度からして、
「お金のあるお前たちは、苦労している自分たちに少しくらいお金を分けてくれてもいいだろう。」
「自分は真面目に働いてきたがもう年老いて働けないのだ。」
というようなことを話しているような感じだ。どうどうとはっきり何かを話している。金を渡すそぶりが見えないと、すぐターゲットを他に変えて行ってしまう。積極的なタイプ。
待ちうけ型のタイプは街のあちらこちらに座り込んでいる。人通りの多い歩道や、歩道橋の階段で、踊り場のようになって少しスペースのある場所など。やはりお年寄りや、事故などで手足が不自由になってしまったような男たち、乳飲み子を何人か抱えて仕事ができない女たち。
農村からの出稼ぎ労働者たちは、身分の保証も無くきつくて危険な労働を行う。わずかなお金で食いつなぎ、あるいは食べるものも節約して田舎の家族に送金する。それが、事故で腕を無くしたりすると、何の保証も無く路上に放り出される。社会主義と社会保障とは関係が無いものらしい、というような論議は今回はしない。
一人っ子政策があるはずなのに、生まれてまもない赤ん坊を抱えて、座り込む女の背中に1、2歳の子供が二人ほど「おなかが減った」とまつわりついている。女の亭主はどこにいるのか。子供を生む前は何をしていたのか。やはり農村から出て来たのか。出てきて職場のない女が稼ぐ手段は、と考えるまでもない。
手も足もない男が、毎日同じ場所にいる。一人でそこに来れるはずがない。とすると、誰かが毎日そこに連れて来るわけだ。男のために親切で送り迎えをしているのか。そもそも、帰る場所はあるのか。あるいは、物乞いの元締めがいて、商売でそのような人たちを配置しているのか。いろいろな話を聞くが、自分で確かめてはいない。
以前、珠江のほとりの観光地でタクシーを降りようと車のドアを開けたとたん、小さな女の子が、小さな花束を私の手に押し付けて、「彼女に買ってあげて」と言ったようだった。確かにそのとき、隣に案内でそこへつれてきてくれ女性がいた。が、そのときその女性の方が、いきなりその花束をつかんで少女に投げつけるように返して、激しい口調で何かを言った。何を言ったのかわからなかったが、言われた少女は、その言葉がよほどくやしかったのか、タクシーを降りた連れの彼女のスカートをつかんでしばらく離さず、食い下がった。なみだ目で見返していた。
あとでわかったことだが、言った彼女には、その少女よりまだ小さな女の子がいたのだった。自分の子供の姿と重なって、激しい口調で教育的指導をしたに違いない。
その同じ彼女が、別の場所でタクシーを降りるときに、ドアを開けるサービスをしてくれた片手を無くした男に、1元のチップを渡した。