天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

なぜ中国を書く

 少しづつ、このブログを読んでくださる方が増えている気配。所詮自分で宣伝してみているだけなのだが。でも読んでくださって、時々反応が聞けるのはうれしい。少しのかたがたでも、読んでくださる方がいる以上、読むブログを目指している私としては、そう無責任なことは書きたくないし、いい加減なことも書きたくない。
 が、テーマを中国を中心に、というのはなかなか難しいことを始めたかもしれない、と思いつつ、燃えない今日はなぜ中国を書くのかについて、考える。なぜ今自分が住んでいる日本ではないのか。
 日本は面白くないのか?そう、面白くない。日本のどこが面白くないのか。住めば都という言葉もあるが、面白くないと感じるのは、日本という場所ではなく日本人のようだ。
 その理由は、ひとつには自分が歳をとったことと関係があるように思う。昔から年寄りがよく言う言葉に、「最近の若い者は云々」というフレーズがある。自分自身その域に達しつつあるようだ。日本人の若者にあまり期待ができないように感じてしまうことがあり、そして更に、日本人を長くやってきているので、日本人を見飽きてしまったのかもしれない。
 それに比べて、中国の人々は一口に語れない多様性と歴史、文化。
 最近感じたことに、中国人社会は、多様性そのものを受け入れる社会ではないかと思うのだ。たとえば、ハンデキャップを持つ人々がそのまま社会の中に溶け込んでいる。そう感じるには理由がある。この点は別の稿で改めて書きたい。
 で、日本人が面白くないとして、外国人のうち何故中国なのか。以前は英語圏の人との接触もあった。が、ここまで興味を持たなかった。仕事上だけの付き合いだったせいかもしれないが、一番大きな理由は、自分が中国人に裏切られたせいではないだろうか。
 欧米の人々に対しては、はじめから相手を外国人だと思ってつきあう。感覚のズレは当然あると思っている。しかし、中国の人で上手に日本語を話す人と接触すると、相手を外国人と思うことができない。日本人に接する感覚になってしまう。日本人に期待するのと同じ反応を相手に期待して、そして裏切られる。そこで、始めて相手は外国人だったことを認識する。
 それから、これはかつての日本の歴史教育の問題かもしれないが、我々の世代はあまりにも隣の国を知らないで育ってきたような気がする。今になってあまりにも色々発見することが多い。
 などなど、中国を書く理由はいくらでもある。