莫 邦富(モーバンフ)先生
先日、日中友好協会八王子支部の案内で、莫邦富さんの講演を聞きに行った。「中国を読む」という本で彼の名前を知ったのだが、ジャーナリストとして幅広く活躍しているらしい。博報堂の顧問でもあるらしい。最近の著作は「中国全省を読む」というタイトルの本があり、購入して私も読んでいる。氏は中国を「読む」のが好きらしい。ジャーナリストとして、冷静に中国を見て評しているところが好感が持てる。
最近、新聞で中国特集の連載がまた始まったが、経済記事というのはどうも、情勢を否定的にというか、暗く書く傾向がないだろうか。本来新聞には主張があっていいはず。あっていいというよりも、世の中を先導する意気込みで記事を書いて欲しい。それがあまり暗い書き方では、再起すべき日本経済、中国との協力関係の促進が損なわれてしまいそうな気がする。
確かに中国人相手の仕事は、難しいと感じることはあるだろう。私自身そのような経験もしてきた。でも、その原因は、自分の場合がそうであったから多分みなそうだと思うのだが、中国人は外国人であるとの認識を持って接しないところにあるのではないかと思う。
欧米人とビジネスをしたときよりも、中国人を身近な存在として捉え、自分たちの観念で仕事をしようとする。
彼らは見た目が東洋人で、見ただけでは我々と区別がつかない。まして、日本語を話してくる中国人に対しては、我々と同様のビジネス感覚を持っている人たちと思ってしまう。
ところがそうではない。見た目が同じで日本語をしゃべっても、生活感覚は、日本人と欧米人とが違うのと同様に違うのだ。同じような人種だと思っていただけに、そうではなかったことが分かってしまったときのショックは大きいとは思う。
がしかし、仕事上はそうなのだが、仕事とは違う場面でつき合うとまた違う印象をもつ。家族と友人を大切にする、とても暖かい人たちなのだ。
仕事面でかみ合わないということは、彼らの感覚がグローバル化しきれていない面がある。官吏の腐敗がよく言われるが、莫邦富先生の話では、地域によってかなり差があるらしい。地域差があるということは、そのような性向をもたらした土地の事情、歴史的背景があるわけだ。
歴史的背景と言えば、アヘン戦争以来中国と中国人を食いものにしてきた、欧米列強と日本を抜きにしては語れない。今の中国のある地域の人たちが今の感覚、批判の対象となるような感覚を持つようになったのは、日本を含むかつての帝国主義時代の各国にも大いに責任があるのではないだろうか。
また中国のある地域(奥の方)では、そんな歴史的出来事も飲み込みながら、昔ながらの静かで穏やかな生活を続けている人たちも大勢いる。
経済記事は、単に経済面での現象を捉えているだけなのだろうが、中国そのものを否定するような印象を与える書き方は、やはりいただけない。