天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

 運命の子

 久々に現代中国映画上映会に行けた。会員期限が去年の12月で切れていたが、更新がてら見に行くヒマも無かった。理事会の仕事や孫たちの相手などなど。今日はその両方が無かったと言うわけだ。
 原題は「趙氏孤児」であり、英語名は'Sacrifice'だ。「運命の子」という日本語タイトルを含めて三つとも意味が違う。が、映画の内容を表していることには違いが無い。内容のどういう点を表しているかが異なるわけだ。
 時代は2600年ほど前の中国春秋時代。勢力争いのなかで、趙一族が政敵にの謀略にあい一族皆殺しのめにあう。が、ちょうどその時お腹の中にいた趙家の跡とりが、その赤ン坊を取り上げた街医者に助けられてたどる運命の物語だ。
 2010年の作品で、監督脚本は陳凱歌。数々のいい作品を残している人だ。これは極めて最近の作品で、古代中国を舞台としたエンターテイメント映画としてはとてもよく出来ている。中国のこの時代背景あっての物語でありながら、現代人に訴える人間愛は見る人の共感を呼ぶ。
 庶民の風俗や景色は、日本の平安時代のような雰囲気が感じられる。さほどに日本の中世の文化は中国からの影響が強かったことが分かる。
 趙家に生まれたての赤ン坊が何物かの手によって逃げたことが分かると、謀略者の屠岸賈は街中の赤ン坊を探し出して集める。この光景は、イエス・キリストが生まれた時に危険な存在が生まれたとして探し出して殺そうとした物語を彷彿とさせる場面だった。
 結局、医者の息子が趙家の嫡男と取り違えられて、妻と共に犠牲になる。医者の程嬰は自分の手元に残された趙家の赤ン坊を自分の子供として育てはじめる。しかし思うところあって、妻と子のかたきである屠岸賈の下に、趙家の子どもを探し出すことに協力したことを理由に、自分を家臣にとりたて、赤ン坊の養育を依頼した。権力を握った屠岸賈は、鷹揚にこれを聞きいれ、その子を趙家の息子と知らずに愛情を持って教育する。医師のねらいは、そうしておいてある時、息子に本当の父親は誰で、誰が父を殺したのかということを伝え、屠岸賈に対してかたき討ちをさせることだった。
 15年の歳月が流れるうちに、屠岸賈は趙家の息子をすっかり我が子のように思っていたが、15歳で初めての戦に出すために着せた鎧姿を見て、自分が陥れた趙氏にそっくりであることに気付く。初陣で命を落としそうになる趙家の息子を、そうと知って見殺しにしようとしたが、彼から「父さん助けて」と叫ばれ、見捨てられずに助け出す。
 しかし、最後は医師の思惑通りの結果となる。残忍な権力争いに巻き込まれる人々。今も昔も権力闘争の犠牲になるのはいつも庶民だ。そういう中でも人間の愛情が感じられることにホッとする映画だった。