天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

走ることについて語るときに僕の語ること

 村上春樹氏の本だが、このしゃれたタイトルはレイモンド・カーヴァーという人の短編集 What We Talk About When We Talk About Love というタイトルからの転用らしい。あとがきで白状していて、夫人の了解を得ているとか。原題の方は「走ること」ではなくて「愛」なのか。そちらも読んでみるのがいいかもしれない。村上氏は翻訳も結構やっている。早い話が「愛について語る時に我々の語ること」という訳本も出ている。また、走りの語りの本の中で「グレイト・ギャツビー」というのを絶賛しているので、買ってしまったではないか。

 まずは村上氏の走りについての本についての感想を述べる。これはもう先日書いているが、もう一言文章について言えば、小説と違ってあまりカッコつけてなくて、素直に走りの心情を吐露しているところが共感できる。そこがいい。

 本の買い集めが、「読み」に先行し始める気配が出てきたので危ない。まずは「BORN TO RUN」を読むことにする。この本はタイトルから想像できるように「走りに取りつかれた人」でなければ書かないような本だ。初めの数ページではやその気配が見えるので楽しそう。ところで、これを手にしながらふと、突然、静かにひらめいたことに「集中しろ」ということがある。

 今は、富士登山競争をまじかに控え、走ることに意識が集中している。それが終わると、おそらくしばらくは走ることから逃げたいくらいの気持ちになるだろう。少なくとも、すぐに次はどこをどのように走ろうなどと考えないだろう。別の、あれや、これや、それなどなど、色々と気になることに手を出してゆく。

 しかし、走るという本能的なことに集中している人たちもいる。別にプロや選手でなくてもいる。かつて、自分も「甲州街道ラン」を勝手に自分に課して、最終到達点の上諏訪まで何日かに分けてジョグしたことがあった。あれはあれで楽しかった。普通に勤め人をしながら、休日に鈍行列車に乗り、日帰りを何日か積み重ねたのだった。ひょっとしてこれから、勤め人をやめた日には中国を駆け抜けることがしたくなるかもしれない。おそらくあり得ないと思うが、これをやりだしたらそれこそ「走ることに取りつかれた男」の仲間入りだな。それが楽しいことであることは知っている。

 以上、走ることについて語るときに僕の語ることの本日編でした。