天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

並行読み

 「ワイルド・スワン」を読んでいると、毛沢東のまやかしというか実像、実態がよく見える。このようなものを書いたユン・チアンという人は中国に帰れないだろうなどと思う。一方シャオ・ユーという人の書いた「毛沢東の青春」という本があるが、これには、毛が若かった頃の純粋な行動が描かれている。一人の人間がまったく違う評価をされている。
 前者は、毛沢東の指導した頃の共産党員の家族として、大変な体験をしたことについての赤裸々な記述。後者は毛の竹馬の友のような人物が、毛の若い頃を回想したもの。描かれた時代が違うといえば違うが、同じ人物に関する記述。
 若い頃に純粋に貧しい人民の為にと立ち上がって行動したが、成功して権力の座についた途端、自らの権力を維持することに終始してしまったということなのだろう。その人物は今も天安門にその写真が掲げられ、中国の守り神のように特別な扱いを今も受けている。そのこと自体が中国のすごいところかもしれない。これは余談。
 一つの出来事や、人物の評価というものは一様にはできないということだろう。毛沢東に関しては、「毛沢東秘録」という本も手元にある。こちらは10年ほど前に産経新聞の取材班の手による本。本棚に眠っていたのだが、最近の私の読書傾向の中で眠らせておく訳には行かなくなってパラパラと拾い読みをしている。取材した客観的事実に基づいて書かれた本(のはず)。
 これらの本を同時並行で読んでゆくと面白い。人物あるいは出来事が立体的に見えるようだ。特定の著者の一方的な意図に流されることからも回避できる。
 満州について読んでいるときもそうだ。中国人の書いたものに日本人の書いたもの、また淡々と事実を書こうとしている歴史書。あまりに色々なことがあると、並行読みをすると頭が混乱してくることもある。冷静になれば混乱したままということはない。並行読みは面白い。
 また別の本を開くと、例えば中国が日中戦争に勝利し、独立を果たしてゆく時代に、地球の裏側のアメリカの庶民の様子を書いた小説だったりする。これも別の意味で面白い。同じ時代なのにまったく異なる世界があったのだ。過去のこととしてではあるが、その時代をマルチスコープで振り返っているような感じ。
 マルチで面白いのは本の世界だからだ。現実の世界もマルチで動いている。(当たり前だけど。)日本でバカな選挙をやっている間に、米国と中国はより接近してゆき、アフリカでは今日も餓えて命を落とす子供たちがいる。
 自分はマルチ人間ではないので、これまでどおり地味にやってゆくしかない。本くらいはマルチで並行読みをして楽しむか。