天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

青島毛子埠抗戦記念館

 掲題は、チンタオマオズブ抗戦記念館と読む。中国語と日本語が入り混じった名前。これを紹介しておこう。これは、日中友好協会、とりわけ八王子支部のメンバーの活動の一端である。と偉そうに書いているが、詳しいことはよくわからない。
 報告によれば、1958年に日本の軍隊による「毛子埠虐殺事件」が起きたとある。これ自体おかしい。1958年といえば、日本軍など無いはず。1938年の間違いだろう。いづれにしても、青島においても日本軍の残虐行為があったということだ。当時の日本軍の残虐さは、南京虐殺が最も取りざたされているが、青島においても、人数の多少にかかわらず非道な行為が行われたという事実を、後世に語り継ぐための記念館が建てられているのだ。
 この記念館の館長は丁春源さんという書道家らしい。友好協会の寄付金で建てられたものと思うが、維持運営は現地の人に任せてある訳だ。寄付とかボランティアによる行為と言うのは、維持運営が一つの問題である。水の無い地域に井戸を掘る活動があるが、掘った後の維持ができなくて井戸が使い物にならなくなっている率が相当あるらしい。ボランティアで井戸掘りをして、水が出て、現地の人たちとニコニコと記念写真を撮って満足して帰国する。しかし、そのあとのメンテナンス費用が無く、結局井戸は使い物にならないらしい。井戸の番をするボランティアまで組織するとか、維持運営体制を作って、有効に作用することをウォッチし続けなくては、一過性のお祭り騒ぎで終わる。期待が大きかった分、失望も大きいのではないかと思う。
 話は青島の記念館である。ここの維持運営については、今のところ日本側からの協力関係も続いており、館長のご努力により続いているようだ。井戸のような生活必需品と異なり、記念館である。この種の記念館は、中国では珍しいものは無いらしい。それほど、各地で日本軍はひどいことをしていたことが分かる。本当にひどい奴がいたのであろう。しかし、ひどいことを不本意ながらやらされていた兵隊たちも多数いたことは確かだ。そういう人たちが、戦後、戦犯となって処刑されたりもした。「私は貝になりたい」という映画は、そのことを知らせているのだ。
 今の日本でも、これに似た行動はいくらでもあるのではないか。人殺しや、拷問ということではなく、権力の尻馬に乗って非情なことをやったり、不当に利益を得て当然のように思ったり。あるいは、立場上やりたくないこと、他人に迷惑をかけるようなことを、不本意ながらやっているということだ。
 知らず知らずに自分もそのようなことが無いよう、くれぐれも注意したいものだ。