天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

エリザベス女王の国葬

 めっきり涼しくなって・・・という書き出しで、数日前に日記を書こうとしていたら、そういう書き出しのブログが目についたので何となく工夫しようとしている間にまた数日が過ぎて、英国のエリザベス女王国葬も終わった。

 ああいうのが国葬ってもんだ。日本はアベの国葬を強行するきだろうか。岸田政権はそれを強行したらもう終わりだってことに気づかないのか。

 あのエリザベス女王は、60歳の時点で自分の葬儀の段取りを決めていたそう。それであの葬列も粛々と行われたのか。早くから終活を終えていたのか。60をとっくに過ぎた自分は、そろそろそうしたことも決めておくとするか。

 それもあって、自分がどこで終末を迎えるかを想像してみる。自宅か病院か施設か、はたまた事故にあって事故現場か。考えられるのはそんなところ。葬儀は普通にやるのか、家族葬にして後日知人に連絡してもらうか。葬儀をやる場合、何式か。流れに任せると仏式。しかし無宗教の葬儀に行ったことがあった。本人希望だったのか。たいていは坊さんのお経が続いてから、親族の焼香に続いて参列のひとたちの焼香となる。

 通夜には食べ物が用意されて、帰り際にそこで飲食しながら故人をしのぶという段取りになっている。しかし、この風習もコロナでずいぶん変わっているよう。まず人が集まることを避けるので、通夜の飲食はない。故人がコロナだった場合には棺桶の蓋を開けて顔を見ることもない。最近の認識ではそこまでやらなくても、という感じだが、日本人はいったん身についた風習はなかなか変わらない。

 英国で女王の死を悼んで集まった人々は誰もマスクをしてなかった。それでか、日本から行った天ちゃんもマスクを外したらしい。郷に入っては郷に従え。いかにも日本人らしい。わがままだった皇太子時代にイギリスで皇后に見初めて強引にめとった。その思い出の場所のイギリスに二人そろって出かけたわけだ。

 英国でも王室の存続に議論があるという。さもありなん。しかし、エリザベス女王については全国民と英連邦の人々は彼女の死を心から悼んでいる様子が分かる。こういうのが本当の国葬で、アベのは強行したとしても国葬じゃない。岸田が勝手に税金を使ってやるだけ。

 話は王室について。国王となったチャールズは、そのあいさつの中で議会の重要性を語ったらしいが、民主主義国家で物事を決めるのは「議会」だということを敢えて言うことで、王室の存在は政治と関係ないと言ったのだろう。日本で言えば「国会」が中心に政策など、言い換えれば税金の使い方を決めるのが本筋。それをアベ以来、閣議決定で物事をきめてしまう風潮が出てきた。アベの国葬もその流れで決めたと言っているが、連日の反対デモ。日本の天ちゃんもチャールズのように、「国会が大切」と言ってみたらどうか。言えないだろうな。

 皇室や王室は、民主主義の国家運営に必須の物ではない。アメリカはハナから存在しないし、フランスは革命で王家は廃された。いずれ無くなってゆくものだと思うが、日本は明治政府ができた時点で政治に天皇を持ち出して世の中を統一してきた歴史がある。その体制で軍国主義国家となり、敗戦に至った。軍国主義推進のための道具でもあった。にもかかわらず、無条件降伏後の日本に天皇がのこり、皇室が存続し、国民はその存在をありがたがってか、誕生日に日の丸を持って集まる人がいまだにいる。

 

 さて、90年に1度の規模と言われた台風が去った。昨日は笛のレッスンを見合わせて備えたが東京地方はさほどのことは無かった。九州や中国・四国地方は大変だったと思われるが、あまり伝わってこない。メディアが災害慣れして、ニュースにしないのか。