天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

古希

 70歳になりました。正式に。還暦で年とったと思ったら、そこから10年も経過したわけだ。いよいよ本物の爺だ。

 5年前の今頃は、前立腺がんでステージⅣと診断され、ステージⅣとは5年生存率が25%と聞いて、5年後の今日のこの日が無いかもしれない、と思ったりした。

 あれからいろいろ勉強させてもらいました。退職した直後に癌だと分かったので、退職後の学習は癌の本を沢山読んで、おかげで退屈しないで日々を過ごしてきた。ここへ来て認知症の勉強に切り替えているが。

 二胡もやっていてよかった。ここ2,3年は検定試験に挑むということを続けているので益々練習に張り合いがでる。今年は5級も合格して、来年の6級受験のめどもついた。

 日中友好協会の仲間増やしの役に立つかと思って、二胡教室も始めて見たら、生徒さんも出来た。見込みではあと二人ほど増えそう。先生をやろうと考えたのは、それこそ5年前、退職と同時に中国に行って1週間だけ広州で現地の先生に習ってみたら、その先生が80歳の男性だった。その先生に二胡を始めた年齢を尋ねたら、60過ぎてからということだった。それを聞いてがぜん自分もやる気になった次第。

 沈琳先生の二胡教室のテキスト作成を手伝ったこと、日中友好協会の活動に参加していたことなどのおかげで、思ったより早く生徒ができた。あとは生徒さんたちが上手になるように一生懸命教えてゆきたい。

 ところで「古希」という言葉は、杜甫の詩に70歳が「古来稀なり」とうたわれたことからこう呼ばれるようになったとか。ということは「古希」は中国語でもあるのか、と思ったら今では特別に「古希」を祝う習慣はないらしい。

 日本でも100歳時代などと言われるようになったので、100歳まではあと30年もあると思うとまだまだ感があるが、持病があるとそこまでは無理と思われる。いずれにしても「生きてるうちは元気よく」を引き続きモットーにしてゆく所存だが、この言葉を教えてくれた先輩は、100歳を待たずに逝かれた。

 そういえば先日、日中友好協会でご一緒だった満州帰りの方も100歳を待たずにお亡くなりになった。敗戦後しばらく中国共産党の紅軍の看護部隊に所属してしばらく中国各地を転戦した経験をお持ちの方。まだ国共内戦をやっている頃に共産軍に所蔵していたという特異な経験をお持ちだった。つい1年ほど前か、理事会の後で二人で寿司屋に昼食を食べに行ったときは、結構ボリュームのある定食をペロリと食べてしまわれたので、まだまだ元気と思っていたのに寄る年波には・・・ということか。合掌。

 とりあえず自分も70歳まで来たので残りの人生は、二胡をやりながら、ガラクタ整理をして一年々々過ごしてゆくか。ということで、今週末からまた岡崎へ出かける。