天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

二胡の本など

 明け方に靴が壊れた夢を見た。これは、今日は出かけない方がいいという天の声に違いない。ということで、在宅を決め込む。本来は二胡友の二胡の演奏を聴きながらランチできる日だった。が、その方もご不幸があって本日参加かどうかは不明。悲しみくれているところに今日はどうすんの、と聞くのもはばかれる。

 二胡の話は尽きない。最近借りた二胡の本。「張韶老師の二胡講座 下巻」

f:id:mm3493:20190730110259p:plain

 上巻もあるが、そちらは現在品切れで買えない。理論編らしい。譜面編がこちら。著者の張氏は2015年にお亡くなりになっている。弟子の二人が翻訳している。

 最近在日の若手二胡教師が本を出していて、読んだ人から頂いたのがあるが、日本語が変ということもあり、パラパラ見で終わっている。それに比べると、こちらはいい。

 譜面編だけで、入門から独奏まで練習曲と練習の仕方の説明がでている。初心者に教えるときの参考に随分なる。

 結局二胡という楽器を操るのは手と指。手と指は体から生えている。なので、体を健康に維持して手指をいい音色が出せるように訓練する。という視点が中心。そして曲については、その曲ができた背景に触れて表現力をつけようとする。完璧。

 練習曲は、簡単なものから難しいものまで。そういう本はいくらもあるが、簡単な練習といっても、どの指の練習なのか、弓のどの辺を使うといいか、弓のどういう動きの練習なのか、という説明がある。とその曲をちゃんと弾けると、そこに示された二胡のその技をマスターしたことになる。という達成感、あるいは教えるときの生徒の進歩の確認ができる。さっそく活用してみるかな。

 

 話は変わって、今日の東京新聞によると辺野古の工事業者を防衛省は開示しない。省から請けているのは、大成や鹿島など大手ゼネコンであるが、「施工体系図」というものはその下請け、つまり実際に工事をする会社が載るが、そこがすべて黒塗りにしてある。あきれてものが言えない。

 

 「避穀」して仙人になるか。「避穀」という言葉は、十八史略を読んでいて、劉邦の知恵袋であった張良が、劉邦の天下となったときに引退をしたくて仙人になりたいと思ったくだりで知った。この世の出来事から自分を遠ざけた仙人のような存在になるには、穀物を避けるという「避穀」をしまくてはならないらしい。まさに、カスミを食べる存在だ。

 しかし穀類だけを避けるのならワシでもできる。本来木の実を食べていた人類の祖先に倣うことで、過食や飽食の結果のメタボから解放されるんじゃないかな。