天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

マンチュリアン・リポート 浅田次郎

 ちょっとあわただしい数日を過ごしていました。9日にボランティア説明会に行ってからはや1週間。

 11日は孫リンの誕生日。お祝い会は既に済ませていたものの、二胡楽団の練習日で横浜までいったついでに、一緒に夕飯を食べてお祝い。西口のヨドバシカメラの地価のレストラン街。

 横浜西口に1年簡勤務していたのがついこの前のようで、あのころを思い出す。いったいいつだったかと言うと。12年前になる。十年ひと昔として、昔の話だ。

 孫リンは生まれてから7年経過。昔の写真を見ていたらきりがないので省略。

 そうそう、横浜西口で食事をしてから、結局孫リンとパパを連れて帰る。何でも翌日1親たちがそれぞれ個別の用事(飲み会など)があるので、預けたかったみたいなところ、渡りに船だったか。

 翌日12日、酒気帯びの親たちが迎えに来たので、車で送っていった。昼間は、従妹たちが来ていたが、自分は二胡の練習兼打ち合わせに行ったりしていた。

 そしてよく13日はかねて約束していた、施設でボランティア演奏。さっそくもらったばかりの手帳を見せたら、スタンプを2個押してくれた。説明会参加で1個あったので、計3個。そして来月もお願いしますとのことで、6月11日に予定を入れた。順調なボランティア活動。

 そして14日は、夜のおでかけで渋谷まで二胡の沈琳せんせいの参加するライブに出かける。

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 このグループでのライブはこれで4回目。渋谷の東急ホテルタワーの2階にある、J'sBratsは二度目となる。初回以来全出席している。これは、25弦筝が入ることでほかのグループでの二胡演奏とはまた一味違って気に入っている。

 先生のライブは、できる限り行くようにしているが帰りが遅くなるのがつらい。そういう年齢になったんだ、という訳。

 そして昨日は日中友好協会八王子で、中国帰国者の方々に声かけして、餃子を作って食べる会。そこで二胡を弾いて、みんなで歌を唄ってもらった。まあボランティア演奏と同じようなことをしたわけだが、歌の歌詞を中国語で4曲用意した。

草原情歌、太湖船、月亮代表我的心、それに北国の春

 これは受ける。中国語で歌う機会など、日本ではなかなかないんだろう。しっかり大きな声で歌ってくれるおばさんがいて、二胡も弾きがいがあるというもの。

 餃子は豚肉なので、遠慮しようと思っていたが、次々と沢山できるのでついつい食べたら美味しかった。中国式の水餃子。という間もなく、夕方、りんちゃんのお迎え依頼が来ていて、またまた本牧まで出かけた。

 5月になり、りんパパも新しい会社に勤めが始まったし、連休明けで二人とも忙しいらしい。学童保育に迎えに行くのは初めてだった。

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 一年生の黄色い帽子をかぶって、ランドセルはジイジに預けてぴょんぴょん飛び跳ねながら帰る。 でもって今日はまた、ノンちゃんの方のお迎えがある。

 前段が長すぎたので、本題を簡潔に。本末転倒。

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 浅田次郎氏のシリーズ。「中原の虹」、「蒼茫の昴」と来てこの「マンチュリアン・レポート」。このタイトルは、真面目な兵隊が、天皇陛下の勅命を受けて、秘密裏に満州で起きた事件の調査をする、その報告書を意味して命名されている。

 その事件とは、1928年6月4日の張作霖爆殺事件のこと。この事件は、関東軍高級参謀の河本大作首謀によるものと、今では明らかになっているが、当時は「満州某重大事件」として、その実情が内密にされていた。それを昭和天皇が実態調査を命じたという筋書き。

 浅田次郎という人は、中国が好きで、張作霖も好きだったのだということが分かる。

 西太后に次のように言わせている。

「中華という呼び名は、世界の中心という意味じゃないのよ。この地球のまんなかに咲く、大きな華。それが中華の国。人殺しの機械を作文明など信じずに、たゆみなく、ゆっくりと、詩文を作り花を賞(め)で、お茶を淹れおいしい料理をこしらえ、歌い、舞い踊ることが文化だと信じて疑わぬ、中華の国よ。」

 私が、二胡を弾き、中国茶を楽しみ、時々中華料理を食べるのを好むのはまさにこれだな、と思わざるを得ない。詩は、学生時代に吟じたものだったが、あの頃は幼かった。

 そして吉永という劇中の軍人。張作霖の軍事顧問の一人として、爆殺された時の列車に同上して、片足を失うという重傷を負った人物が語る。

大和魂も武士道も、これでおしまいだよ。俺たちがこのさきどんなきれいごとを言おうが、誰も信じない。俺たちは。祖先から受け継いだ血の、最も大切な成分を、この皇姑屯のクロスでぶち撒けてしまった。俺たちはもう、血の通わぬ亡者になるほかなくなったんだ。」 *皇姑屯のクロス:爆殺事件の現場

 そして日本は、その後満州侵略、日中戦争、太平洋戦争、敗戦という経過をたどった。 当時の日本が、日本人が誤ったことを訴えている。

 その過ちは、敗戦でしっかり反省されたのか。どうもそうではなさそう。

 武士道とか、国粋主義的な概念を重んじる人ならばなおのこと、今の日本を憂うにちがいない。そうでなければ似非右翼。ネトウヨってのはエセ右翼なんだろうな。

 ちょっとこの点はもう少し掘り下げてみる必要があるか。そのあたりに現代の政治の貧困、というか政治家の愚昧、そういうものを見過ごしている日本人の過ちがあるのではないか。