天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

乃木希典の映画

 小野梓記念館というところに出かけた。学友会の会報に出ていたイベントで、乃木希典の映画をやるというので見に行った。
 行ってみると用意されていたのはシンポジウム会場。

 なんだ映画ではなかったかと思いきや、トーク付きの映画試写会。1930年代の無声映画だった。なぜか小沢昭一氏が保有していたフィルムだそう。それを早稲田大学演劇博物館がイベントに仕立て上げた。
 フィルムは30分ほどのものだが、2回見た。
 1回目は、弁士が語りを入れて、ピアノ伴奏つき。
 2回目は、浪曲師がうなりつつ語る。それに合わせるのは三味線。三味線が語りに合わせて雰囲気とストーリーを盛り上げるとは知らなかった。即興でやっている。東(アズマ)一太郎という浪曲師に同じく東美(ミツ)という三味線奏者。二人は夫婦だそうで、一太郎早大文学部の卒業。自己紹介で早大卒で日本初めての浪曲師だと。日本で初めてということは世界でも初めてなどと、弁士のように語る語る。
 浪曲になじみのない観客に、正しい浪曲の聞き方という講座を最初にやってくれた。すなわち掛け声のかけ方と拍手の入れ方。
「待ってました!」「たっぷり!」「名調子!」「日本一!」などをどのタイミングで入れるかなど、確かに教わらなくては分かりまへんがな。
 ともあれ、その映画。ちょうど昨日が忠臣蔵の討ち入りの日だったが、その赤穂浪士が祭られている泉岳寺に、老境に入った一人の老人こと乃木希典がお参りに来ている。そこへ先生に連れられた小学生たちが来ている。弁当の時間に、弁当を持ってこられない松岡少年にやさしい友人が弁当を分け与える。それを見ていた悪ガキがいじめる。このころからいじめはあったのだ。
 松岡君は、父親が日露戦争の旅順の攻防で戦死。母親は病弱で、松岡君は朝は納豆売り、夜は辻占を売って歩いて家計を助けて、お母さんの看病をしている。
 そういうことをいじめる子を、先生がしっかり諫めてみな帰ってゆく。それを見ていた乃木老人。ある夜に車引きを使って少年の辻占を買い上げる。車夫はそれが乃木希典とは知らず、少年の父親が203高地の戦いで命を失ったことを語るときに、「乃木将軍は人の命を大切にしない」と語る。さらに「国がるから人があるんじゃねえ、人がいるから国があるんだ」と言う。ズバリ現代に通じる、民主主義の根幹のようなことを言う。がこれは弁士のアドリブのようだった。字幕にはそういう言葉がないし、2回目の浪曲の語りではそこまで言ってなかった。弁士あっぱれ。片岡一郎という弁士だ。合わせるピアノは神崎えりさんというクラシックのピアニスト。
 この2回の放映の間に、琵琶の語りがあった。日本の琵琶語りを見るのは初めて。美しい琵琶をおおきな銀杏の葉のようなバチでベンベンかき鳴らしながら、乃木希典切腹して、その妻も後を追う場面が語られた。詩吟のような抑揚をつけた、女流詩吟のような発声法で見事だった。川島信子という琵琶奏者。同姓同名の人を知っていたので、まさかあの人がと思ったら別人28号だった。
 トークショウでは、小沢昭一氏を知る矢野誠一氏が小沢氏の思いでをいろいろ語ってくれた。面白かったのは、映画撮影所から急な依頼が来て引き受けることがあったそうだが、バイク便で送られる台本を見ると、小沢氏の名前は誰かキャンセルした人の名前の上に白紙を貼って書かれている。それが誰か、鉄瓶の湯気をあてて紙を剥がすと、そういう場合の90パーセントが三木のりへいだったとか。のりへいさんは見かけによらず、気難しくてすぐにへそを曲げてドタキャンしていたらしい。一方の小沢昭一氏は稽古熱心で、自分が納得がゆくまで稽古をしてから本番撮影に臨んでいたとか。
 初めて見たもの満載の充実したイベントだったが、参加費はゼロ。冒頭の説明によると、文科省からの助成金をわずかながら頂いているのでこういうことができるらしい。不祥事を起こして、こういうお金が削られないように頼みまっせ。